「当初は木造の車両だった」西鉄天神大牟田線が開業100周年 懐かしい写真と映像
福岡鉄道史料保存会吉富実理事長「これは『特許状』といって、国から『線路をひいて良い』と、大正3年4月6日に内閣総理大臣の山本權兵衞と内務大臣の原敬が大牟田線をつくった会社に与えた特許状です。『福岡県筑紫郡住吉町大字春吉』今の西中洲ですね。春吉を起点にして久留米までの軌道特許を出したという書類ですけど、なぜバツされているかというのは、その後大正8年に春吉の起点を天神に変えたから。これは非常に歴史的な書類ですね。」 起点となる駅が今の西中洲から天神に変更。このことが福岡の街を大きく変えることにつながります。 RKB本田奈也花アナウンサー「再開発が進む福岡市天神です。西鉄天神大牟田線が開業するまで商業施設はありませんでした。」周囲に商業施設がほとんどなかった当時の天神。福岡駅が出来たことで岩田屋が天神に進出するなど、街が活性化する一つのきっかけとなりました。1961年には福岡駅が高架化され、商店街「西鉄名店街」がオープンします。その後も天神は発展を続け、九州を代表する繁華街へと成長しました。 福岡鉄道史料保存会吉富実理事長「福岡県の中部から南部を縦貫する『「都市間高速鉄道』天神大牟田線が地域の社会とか経済に与えた影響は非常に大きいですね。」さらに、沿線では住宅の開発も進み、天神大牟田線は通勤・通学の足となっていきました。 平田利光さん(66)「花畑駅付近が立体交差になったんですけど、その時の記念にもらった裁縫セットです。」 天神大牟田線を学生時代から利用している平田利光さんです。 平田利光さん 「私が19歳、大学生の時の定期券です。49キロで1万160円でした。昔使っていた時刻表です。西鉄の電車がある時間にどこにいるのか一目で分かる「ダイヤグラム」です。犬塚を7時54分くらいに出まして、8時50分ごろに福岡の天神に着く。45年以上のつき合いなので、本当に生活の中にずっとあったような気がします。」