<映像作家・佐々木昭一郎さんがのこしたもの>はらだたけひで…奇跡のような一筋の光【寄稿】
佐々木さんは指揮者の武藤英明氏から「倍音」を教えられた。「ミンヨン 倍音の法則」で提示した「倍音」は、佐々木さんが遺(のこ)したわたしたちへの贈り物だと思っている。倍音は広辞苑二版によると「振動体の発する音のうち、基音の振動数の整数倍の振動数をもつ部分音(上音)」とあるが、佐々木さんは直感的に「倍音」と世界の関係を悟った。以来、「倍音」は佐々木さんの現代社会に対するアンチテーゼとなる。日常のなかの「倍音」に耳を傾け、「倍音」に身を委ねることによって、世界に元々あった豊穣(ほうじょう)さを知る。佐々木さんは「倍音」を大切にする社会、現代人の眼には見えなくなったもの、耳には聴こえなくなった音を優先する社会を願っていたとわたしは考えている。
物質文明は「進歩」という名のもとに、デジタル化、合理化、経済優先で突き進んできた。その結果、人間性を疎外し、自らの未来さえも閉ざそうとしているのではないか。戦争や暴力が世界を覆い尽くし、社会は閉塞(へいそく)し、自由が日々失われていると、佐々木さんは今日の時代を危惧し、自らの厳しい少年期の記憶を繰り返し語っていた。
そして数年前から佐々木さんはにわかにコラージュ作りに夢中になった。光のスペクトルのような色彩を貼り合わせて虹色の世界を作っては、知人、友人に贈っていた。彼のメールアドレスもイタリア語の虹だった。彼は自身の虹を世界に蒔(ま)いていたのだ。
佐々木昭一郎、彼のような映像作家は二度と現れることはないだろう。葬儀の前夜、わたしは夢で、高く険しい峰の白い頂に向かって、佐々木さんとともに、少しでも高みに近づこうと歩み続けていた。今はその旅に加わらせていただいたことへの感謝しかない。佐々木さんが逝ってしまった今、わたしにとって世界はただ酷(ひど)いばかりのものになってしまった。葬儀が終わり、50年以上にわたって佐々木作品の編集に携わった松本哲夫氏が「ぼくの青春は今日で終わった」と呟(つぶや)いていたことが忘れられない。