政治家・石破茂を形づくった「二人の父」 「保守リベラル」路線いかにして築かれたか
自然豊かな鳥取の田舎で育った石破茂氏。「保守リベラル」の立場を持つが、政治家・石破茂を形づくった背景には「二人の父」がいた。10月27日の衆院選で自民党は大敗を喫し、石破氏の責任も問われる。政治の信頼回復には何が必要か。AERA 2024年11月11日号より。 【図表を見る】石破茂氏の足跡 * * * 冬になると60センチ近い雪が積もることもある。 鳥取県東南部の山あいにある八頭町(やずちょう)。人口は約1万6千人で、鳥取駅から町の中心部の郡家(こおげ)駅まで、JR因美(いんび)線でわずか3駅。普通列車で15分程度の距離だ。 後に、自民党の総裁となり、首相にまで上り詰めた石破茂氏(67)は、1歳から中学校を卒業するまで、自然豊かなこの小さな町で育った。 ■保守リベラルの立場、靖国への首相参拝も抑制的 今では「鉄道オタク」「軍事オタク」として知られるが、政治家としての石破氏は「保守リベラル」の立場を持つ。歴史や伝統を大切にしながら、排外的な愛国心をいさめ、靖国神社への首相参拝にも抑制的な姿勢をとってきた。マイノリティーの権利に対しても寛容で、夫婦別姓など多様性の尊重を唱えた。 政治家・石破茂を形づくったのは何だったか。 「石破さんを支配しているのは強烈なファザー・コンプレックス」 こう話すのは、毎日新聞客員編集委員で、石破氏が夏に出した著書『保守政治家 わが政策、わが天命』の編集にも携わった倉重篤郎さんだ。ファザー・コンプレックス(ファザコン)とは、父親への愛着や依存心が強すぎる状態を指す。倉重さんによれば、石破氏には「仰ぎ見る二人の父」がいた。「一人は実父である石破二朗氏。あと一人は、政界の父としての田中角栄氏です」(倉重さん) 石破氏の実の父・二朗氏は1908(明治41)年、鳥取県大御門村(おおみかどそん、現・八頭町)の貧しい農家に生まれた。東京帝大を出て、戦前の内務省に入省。戦後は建設省(現・国土交通省)の事務次官を務めたのち、鳥取県知事に。知事を4期15年務めた後、参議院議員に転じ、自治大臣などを歴任した。石破氏は57年、二朗氏が事務次官だった48歳の時、東京で生まれた。二朗氏は当初、石破氏に「金太郎」と名付けようとしたが、母・和子氏が猛反対し、吉田茂元首相にちなみ「茂」となったという。翌58年、二朗氏が鳥取県知事に就任したことで、家族は鳥取に転居する。