【黒柳徹子】森光子さんの「いちばん美しいところ」を語る
黒柳徹子さんがとにかくよく食事をご一緒した、森光子さんについてお話しします。 〈画像〉森光子さんと黒柳さんの「思い出ショット」
【第25回】女優 森光子さん
長く生きていて寂しいのは、昔仲良かった人たちがどんどん先に亡くなって「あのときはああだったね」「こうだったね」なんていう、思い出話ができなくなってしまうことです。私がまだずうっと若い頃、よくお仕事をご一緒していた、俳優の小沢昭一さんに「長生きなんかしても、周りから思い出話ができる相手がいなくなっていって、寂しくなるだけだよ」と予言されたことがあって、今まさにその通りになっています。でも、実は、身近な誰かを失った直後は、「この人はもうここにいないんだ」と思って寂しくなるけど、この歳になるともう、故人を思い出すことは、自分がその人によって生かされていたことを確認する行為でもあったりして。そういう関係性を築けたことが有り難いなぁと思って、今はむしろ元気が出るのです。 前置きが長くなってしまいましたけど、今回は、森光子さんのことをお話ししようと思います。森さんは、とても元気で、ユーモアがあって、いろいろ大好きなところがありますけど、森さんという人間のいちばん美しいところは、「優しさ」だったなぁと思います。 森さんは、私がNHK放送劇団で女優の仕事を始めた頃にはもう最前線で活躍なさっていました。でも、戦争中は、日本軍慰問団に参加して、戦後も歌手として進駐軍キャンプに巡業に行っていたり。当時は相当なご苦労をなさったようです。戦後すぐ、日系アメリカ人二世の男性と結婚したことがあるんだけど、結婚を決めたいちばんの理由が、普通なら食べられないような美味(おい)しいものを食べさせてくれたからなんですって(笑)。その相手とはすぐ離婚しちゃったみたいです。 好奇心も旺盛でした。50年ちょっと前、上野動物園に初めてパンダがやってくることになって、私は大興奮していたけれど、日本では当時、まだパンダの可愛さが浸透していなかったんです。それで、私が「パンダパンダ」と騒いでみても、周りの人の反応はイマイチだったんですけど、森さんが、「私は見たい!」っておっしゃって。上野動物園にコネがあった私は、そのコネを駆使して、森さんにパンダのカンカンをお見せすることができました。後になってからもずっと「私たち、あのとき一緒にパンダ、見たわよね」って、きゃっきゃと盛り上がれるような出来事でした。 森さんとは、よく食事をご一緒しました。ただ森さんが普段から食に執着していたかどうかはわかりません。とにかく、周りの、特に若い人に対して、「お腹空いていない?」みたいに、しょっちゅう声をかけて、ご飯をご馳走したりして。私も数え切れないぐらい美味しいものをご馳走になりました。