【山脇明子のLA通信】これもアメリカのカレッジバスケの日常…山ノ内勇登が3度目の転校を白紙にした理由
「今回は時間をかけて転校先を決めたかった。なぜなら昨年ポートランド大学にコミットしたときは、すぐに決めてしまったように思うからです。今回は時間をかけてコーチのことを知ろうとしました。安心できるコーチングスタッフのいるところでプレーしたかった。だからワイオミング大学に決めました」 全米大学体育協会(NCAA)1部のワイオミング大への転校が決まった翌日、山ノ内勇登は、満面の笑顔で、自らの新天地となるはずだった大学や、新たに住む予定だったワイオミングについて語った。「最後の大学生活は、ワイオミングで送るつもりです。自分の決断にとても納得しています」胸を張って言った。 ところが、だ。一夜明けて山ノ内は、再び転校先を探す立場に戻ることを発表した。自らの決断だった。
熱心にリクルートしてくれたコーチが移籍
何があったのか?―― 「信頼できるコーチ」と、ついていくことを心に決めたワイオミング大のジェフ・リンダヘッドコーチが、名門テキサス工科大学のアシスタントコーチに就任することになったからだ。自分の転校決定直後のまさかの展開に誰よりも戸惑ったのは山ノ内本人だろう。 学校を訪問した際には、自らのプレーのフィルムを見ながら2時間近くに渡り、どのようにチームにフィットするか、どうすれば選手として伸びるかを延々と話してくれた。 「そんな風にやってくれたコーチは、他にはいませんでした。だから彼がどれほど僕のことを気にかけてくれているかを感じることができました。彼は僕のフィルムを見て、たくさんリサーチをしてくれていました。彼とフィルムを見ていた時間は最高に楽しかった」山ノ内の目は輝いていた。 そのコーチがいなくなってしまうのだ。答えは、すぐに出た。山ノ内はSNSを通じて、「家族と話し合った結果、リクルートメントを再開することにしました」と投稿した。 アメリカでは、NCAA1部の大学に限らず、こういったコーチの移動は珍しいことではなく、大袈裟な例を挙げれば、昨日まで自らの学校のコーチだったのに、翌日にはライバル校のコーチになっていることもある。そして選手もチームを選ぶ。選手である以上、コーチとの信頼関係と、プレー時間は最も大事なこと。それを求めてチームを変える。地道な努力と我慢の末、数年後に花を咲かせる選手ももちろん多くいる。だが、それは大抵の場合、コーチが代わらず、その過程を見てくれていることが条件となる。また、山ノ内が昨年ラマー大学からポートランド大へ転校したときのように「ステップアップ」を目指して転校する選手もいる。中には、「君にはプレー時間を与えることはできない」と通達された選手もいるだろう。 山ノ内がこの春転校を決めたのは、入る前に言われていたことと、入ってからの現実に誤差があったことになるが、それを経験したことのある選手は、山ノ内だけではないはずだ。 「3度目の転校について、僕に何か問題があると言いたい人もいると思います。でもこの決断に向き合うのは周りの人じゃない。僕自身です」 1つの学校に落ち着きたい気持ちは、山ノ内だって同じだ。だが、自らがなりたい選手を目指す以上、人からどう見られるかではなく、自分がどう行動するか。自分の気持ちにいかに正直になるか――。