子「ケンジにぶられたんだ」親「ケンカでもしたの?」わかる人にはわかるこの会話の問題点
子どもが思春期にさしかかると、親と子のコミュニケーションでのすれ違いが顕著になることがあります。それどころか、うまくいくほうが不思議に思えるほど、子どもをめぐる不安の種は尽きないように思えることすらあります。そんな悩みを解決に導く助けになるのが、「親業」の考え方です。 本稿では、親と子がお互いを理解しあい、心地よい関係を築くための会話のヒントを、『「親業」のはじめかた―思春期の子と心が通じあう対話の技術』より一部抜粋・編集して紹介します。
■思い込みで会話を進めない 最初に、あるお母さんと11歳の息子と親の会話を見てみましょう。 子 今日、学校でイヤなことがあった。 親 どうしたの? 子 ケンジにぶたれたんだ。 親 ケンカでもしたの? 子 僕は何もしていないのに、いきなりケンジがぶってきたんだ。 親 何もしないのにぶつはずはないでしょう。どうしてぶったのか、ケンジ君に聞いてみたらいいじゃないの。 子どもがいる家庭なら、どこの家でもありそうな会話です。「イヤなことがあった」という以上、子どもには親に聞いてもらいたい話があるのでしょう。親も関心をもって子どもの話を聞き、丁寧に対応しているように思えます。しかし、細かく見てみるとどうでしょう。
まず、子どもの言葉を受けて、親は「どうしたの?」と先をうながしています。子どもの話を聞こうという姿勢が表れています。「ケンジにぶたれた」に対しては、「ケンカでもしたの?」と、ぶたれた理由を親が憶測したうえで質問しています。そして「僕は何もしていないのにぶたれた」という主張に対しては、「何もしないのにぶつはずはないでしょう」という親の判断を口にしています。 そこには「ぶたれたのはケンカしたからだろう」「何もしないのにぶつはずはない」という、親の先入観や思い込みが感じられます。子どもの話を最後まで聞かず、途中でさえぎり、一方的な意味づけをしているのです。