濱口竜介監督の新作『悪は存在しない』:「もっと映画を撮るのがうまくなりたい」世界的名手が見つめる創作と倫理
稲垣 貴俊
米アカデミー賞の国際長編映画賞をはじめ、世界の映画賞を席巻した『ドライブ・マイ・カー』(21)から3年。映画監督・濱口竜介の新作長編『悪は存在しない』は、長野県の小さな町で巻き起こる騒動が、日本のみならず世界各国の政治や経済の状況を照らし出す一本だ。再び小規模の映画製作に戻った濱口が、自身の創作論や社会への目線を語った。
「“自然”というモチーフは、普段の自分があまり使わないもの。今回それが出てきたのは、石橋さんの音楽のために映像を作るという出発点があったからだと思います」 きっかけは、濱口竜介監督の前作『ドライブ・マイ・カー』の音楽を手がけた石橋英子が、濱口にライブパフォーマンス用の映像制作を依頼したことだった。最初は「何をすればいいのかがあまり明瞭じゃなかった」という濱口だが、試行錯誤を経て、“いつも通りの映画”を作ることを決定。きちんと脚本を書き、演出した劇映画からライブパフォーマンス用の映像を作り上げるという方法を採った。 その結果として完成したのが、映画『悪は存在しない』と、石橋のライブのために製作されたサイレント映像『GIFT』である。
「我々が生きている世界に近いものが描ける」
舞台は長野県の架空の町・水挽町(みずびきちょう)。自然豊かで東京にも近いこの町で、グランピング(ホテル滞在と同等の体験ができる高級キャンプ)の専用施設を建設する計画が持ち上がる。コロナ禍で苦境にあった東京の芸能事務所による、政府の補助金狙いのプロジェクトだ。町民向けの説明会を開くために担当者が町を訪れるが、その計画は町の環境や生活を破壊しかねないものだった──。 脚本を執筆するため、濱口は石橋の活動拠点である長野と山梨の県境でリサーチを実施。構想の決め手になったのは、グランピング場の建設計画と説明会の話題を現地で耳にしたことだった。 「その話を聞いた時、我々が生きている世界に近いものが描けると思ったんです。劇中の説明会とかなり近い状況が現実にあり、住民の目にはずさんな計画にもかかわらず、まるで問題がないかのように進められようとしていた。現実の計画はその後進展しなかったようですが、同じようなことは僕たちの生活空間、例えば自分たちが働いている業界にも起きていると感じました」 物語の中心は、町に暮らす寡黙な青年・巧と娘の花、芸能事務所からグランピング場建設の担当者として送り込まれた高橋と黛の4人。濱口は「自然と人間の関係をドラマとして描こうとした時、巧たち親子のような自然との関わり方だけよりも、都市の人間が自然を食い物にしているような関わり方を交えたほうが自分にとってよりリアルに描けるように感じられた」と語る。 長期にわたるリサーチを経て、脚本が完成したのは2023年1月。登場人物の思惑が絡み合い、時にすれ違うストーリーは、観る者の予想を覆す方向へと突き進んでゆく。いわく、「執筆期間自体は非常に短かったので、ものすごく考えながら書いたというよりも、むしろ“書けてしまった”という感じ」。ただし、決して奇をてらった展開を狙ったわけではないという。 「あくまでも人々の行動原理がきちんと集積してゆくものを目指すように心がけています。彼ら全員の行動原理にしたがい、“この人はこういうことをする、しない”という感覚を突き詰めることでフィクションの世界に強度が生まれる。僕しか知らない設定や情報もある以上、それらすべてを観客に伝えようとは思いませんが、“この世界はこうなのだ”と自分自身が納得できるものを書きました」 ユーモアについても同様だ。思わず笑いがこみ上げるような場面やシチュエーションもあるが、「正直に言えば、特に笑わせようとは思っていません」。 「観客の反応はコントロールできないし、こちらの意図通りに観客へ伝わらないのは大原則。単純にこのキャラクターはここでこういうことを言いそう、しそうということを連ねていく、ということをしています。結果として、ここ10年くらいは映画祭で笑いが起きることも多いですが、それは好意的に接してもらえているということなので、それはそれでありがたいことだと思っています(笑)」