「江戸時代のリアル」を知りたければ、なぜ「長崎奉行」の「犯科帳」を読むべきなのか
「長崎奉行所」の犯科帳で江戸社会がわかるのか?
「犯科帳」が長崎奉行所の記録であるために、例外的な都市の事例を扱うのか、と考える方がいらっしゃるかもしれない。 たしかに「抜荷」という長崎ならではの犯罪も多く見られる。しかし長崎は日本有数の都市であったので、これから紹介する事例を長崎に限られたものとするのではなく、江戸時代の社会状況を凝縮して映し出したものと見なすのは、十分可能と思われる。 「犯科帳」を繙いていて気づくのは、累犯者が非常に多いことである。そのような視点から新たに「犯科帳」を読み直していくと、別個の事件同士が一つの繋がりを持っていたり、捜査上で新たな事件が露見したり、逃亡者が後日捕まった事例が発見できたりする。 しかしこれら累犯者たちの存在は、従来、ほとんど注目されてこなかった。森永種夫『犯科帳』にしても、安高啓明『新釈犯科帳』にしても、判決記録という史料の性格が影響してか、「犯科帳」に記されている個々の事例を取り扱っているのみであり、かならずしも実際の一つの事件の全貌を復元したとは言いがたいところもある。 そこで本書では、従来とは少し異なった視点から「犯科帳」を分析し、当時の人の思考や動きを読み解いていきたいと思う。そしてそれらの分析を通して、当時の犯罪の実態と、そこから浮かび上がってくる江戸時代という時代のリアルな姿を明らかにしていきたいと思う。 なお、本書では史料をほぼ意訳して描出している。これは「犯科帳」に記された刑罰の申し渡しが、事件に関わった立場ごと(個々の下手人ごと)にその申し渡し理由が記されていることによる。複数犯の場合、関係者すべての記載を照合しなければ事件の全体像は掴みきれない。そのため必要な場合には、一つの事件に関わる複数の記述を著者が一つにまとめていることをご理解頂きたい。 また、個々の事件の詳細を確認したい場合のために、文章中に○○頁と、森永種夫編『長崎奉行所判決記録 犯科帳』(一)~(十一)、の巻数と頁を示しているので、そちらを参照していただきたい。 この時代には、金、銀、銅(銭)が貨幣として使用された。幕府による公定相場も時期によって違うし、実際の交換比率は日々変動した。江戸中期の公定相場は、1両=60匁〈もんめ〉=銭4000文(1000文=1貫文)である。現在の価値が示せれば読者もイメージしやすいが、近年の金高騰をふまえるとなかなか示しづらいことはご理解いただけるだろう(以下でも金・銀・銅の価格が出てくるが現代の価値は示さない)。また、目安になるモノの価値は時代によって、そしてその変化の大きさはモノでも違う。 例えば日本銀行金融研究所貨幣博物館のホームページの「江戸時代の1両は今のいくら?」を見てみると、米一石(約150キログラム)、大工(23人)の賃金、そばの代金(1杯を16文として約460杯)を1両として計算することができる。ちなみに米5キロを2500円と入力すると1両が7万5000円と出る。大工の賃金を1日あたり1万5000円と入力すると、1両が34万5000円、そば屋のそば1杯1000円と入力すると、40万6000円になる。 * では、江戸時代の裁きの仕組みはどんなものだったのか。それについては、国際都市・長崎に残された「犯科帳」から「江戸社会のリアル」を浮かび上がらせる、松尾晋一『江戸の犯罪録 長崎奉行「犯科帳」を読む』(10月17日発売)に詳しく記されている。
松尾 晋一(長崎県立大学教授)