八王子城下の歴史を巡る旅 後北条氏・武田氏・徳川氏の運命が絡み合う街の魅力とは
■そして八王子は徳川の街へ 江戸期の賑わいと営みの名残を辿る (by Mummy-D) 「ばんじゃーい!」じゃないんだよまだ終わってないんだよ馬鹿野郎…まったく(笑)。いやあ、しかし充実の八王子城散策でありました。混んでる高尾山よりちょっとした山登り的にもある意味おすすめかもしれません。お邪魔しましたうじてるくん! そんなこんなで北条の関東支配は終焉を迎え、徳川の時代が幕を開けます。百万人都市「江戸」が生まれ、八王子は甲州道中方面の守りを担う、一大商都に成長して行きます。家康公は西から敵が攻めてくることに相当ナーヴァスになっていたと見え、江戸城西側には将軍を直接警護する「大番組」を配し、新宿には鉄砲組「百人町」を築き、その先のここ八王子には武田旧臣からなる「千人同心(せんにんどうしん)」を配置しました。 八王子千人同心は、1582年の主家滅亡後徳川家に起用された、武田家旧臣である大久保長安(おおくぼちょうあん)によって整備されました。大変な能吏(のうり)でその後の八王子の発展の礎を築いた人でしたが、それだけに敵も多く、あらぬ嫌疑を掛けられて、その死後に一族郎党は失脚します。 そんな長安の作った同心屋敷跡、当時を偲ばせるような遺構は当然ながら残っていないけど、甲州街道と旧陣馬街道に挟まれる形の町割はほぼそのままなんじゃないのかなあ。それより何より「千人町」という地名が残ってるのがイイよね!ま、今では記念碑がある以外は市街地化しててフツーの町並みっちゃ町並みなんだけど、ここから八王子方面へは旧街道らしい味わい深いレトロな商店が並んでいて、そんなのを発見するのもとっても楽しいのであった。 武田家滅亡と共に家康に召し抱えられ、北条家滅亡と共に八王子入りし、数多の戦場を駆け抜け、泰平の世には日光東照宮の警護役を務めるなど徳川家に忠誠を尽くし、最後には元の主君である武田家由来の名字を名乗る、板垣退助率いる新政府軍に恭順の意を示して解散した八王子千人同心。なんという歴史の皮肉か、はたまたドラマか。まだ末裔の方々、この辺に住んでるのかなあ……遠い目です。ちなみに本連載のバナーイラストは弥次さん喜多さんを意識しているのですが、その「東海道中膝栗毛」を書いた十返舎一九(じっぺんしゃいっく)は千人同心の息子らしいです。