焼夷弾による火災で、赤黒く焼けた石を積んだ塀が戦禍の記憶を伝える。空襲の夜に打ち鳴らされた消防団の半鐘は、望楼の焼け跡で見つかった=鹿児島市上荒田町のみずほ温泉(南日本新聞社)
石蔵は焼夷弾の猛火に包まれた。力の限り打ち鳴らされた半鐘は孫に伝わる…「戦争はむごい」。赤黒く焼けた石塀は今も、物言わず語る〈鹿児島大空襲79年〉#語り継ぐ爪痕
【関連記事】
- 【写真】〈関連〉空襲で被災した石塀のある「みずほ温泉」の位置を地図で確認する
- 焦土の市街地、カラーでよみがえる 鹿児島大空襲後の写真復元
- 【鹿児島大空襲】海からの強い風。街はあっという間に猛火に包まれた カラー写真でよみがえる当時の記憶
- 鹿児島大空襲 13人犠牲の女興教務日誌見つかる 1945年6~9月、被災直後をつぶさに描写
- 76年前の鹿児島大空襲。次々降ってくる焼夷弾は6歳の脳裏に焼き付いた。燃え尽くされた市街地。しかし、わが家は難を逃れた〈証言 語り継ぐ戦争〉
- 甲突川は「火の川」だった。6月17日の鹿児島大空襲。乳飲み子を抱き逃げ惑った。自宅庭のキャベツは煮え、鶏は蒸し焼き…遠くに光る白波を妙にはっきり覚えている。