「安牌扱いされていた」おじさんボクサー出田裕一が「日本チャンピオン」になるまでの大逆転ストーリー
アラフォーボクサーが1勝15敗1分でも現役を続けた訳
「ブラックスワン」という理論がある。「白鳥は白い」という常識の中、1697年にオーストラリアで黒鳥が発見され、騒動となった。以後、ブラックスワンは予想外の事態が起こり得ることの例として使われるようになる。 【熱愛スクープ】タイトル戦を控える″神童″那須川天心に新恋人!「24歳金髪美人ダンサー」の献身愛 プロボクサーの出田裕一(40)はまさにブラックスワンといえる選手だろう。’06年度の全日本ウェルター級新人王に輝き、デビューから12連勝を記録するも、’11年8月の試合で敗れると、次戦ドロー後、11連敗を記録。’10年2月から’20年12月までの約10年間で1勝15敗1分と大きく負け越している。 通常であれば淘汰されるはずだが、’22年11月、日本スーパーウェルター級王者となり、10月8日、加藤寿(39)を5回TKOで下し、3度目の防衛を果たしている。 脳や肉体にダメージを与え合う特殊な競技なため、中年になっても続けられる選手は稀といえよう。まして16もの黒星のある選手が日本王座に輝くことは稀有なことだ。本人の言葉と関係者の証言で出田のボクサー人生を振り返りたい。 「もし自分が指導者の立場であれば引退を勧めているでしょう」 出田本人はそう語り苦笑する。負け続けても現役を続けた理由については、次のように語る。 「負け続けている中でも日々の練習の中で『強くなれる』と思っていたし、『強くなっている』『昨日より強くなった』と実感もありました。負け試合でも、あの展開でこうしていれば勝てたかも、と自分のなかで反省点も見えたので、ひとつひとつ課題は克服できていた。連敗中も引退は考えなかったです」 負け続けても心が折れなかった理由の一つに、彩子夫人(37)の存在もあった。試合で負けて帰宅してもいつもと変わらず接した。 「試合に負けて帰宅しても『前の試合よりも強くなった』『前の試合より良かった』と言葉を添えてくれたので、まだ頑張ってもいいのか、と思えたし、もう少し頑張ってみようと感じた」 試合から1週間もすると顔を腫らしたままの出田はジムにやってきて黙々と練習に励んだ。週6日、昼の仕事を終えると判で押したようにジムに訪れ、独りで練習に打ち込んだ。所属ジムの会長の三迫貴志は当時を振り返り、こう笑う。 「変な話、試合だけやってお金だけ稼いで、俺はプロボクサーなんだ、というプライドだけで続けていたなら辞めさせていた。けど、穏やかで練習熱心で、手を抜かない。試合でも日々の練習でも不真面目なところがあれば辞めさせられたけど、武道のように取り組むからこっちも困っちゃったよ(笑)」 ◆11連敗しても「日本ランカーに名前が残った」特殊事情 出田はもともとヨネクラジムの選手だったが、’17年8月にヨネクラジムが閉鎖となり、三迫ジムの所属となった。移籍までに6連敗しており、一時引退するも移籍に合わせ復帰。三迫ジムに所属してから5連敗で、計11連敗も記録。面と向かって「なぜ辞めさせないんだ」と他所のジムの会長から苦言も呈されたという。三迫がこう続ける。 「勝ちにこだわる姿勢が見えないというか、負けて悔しいという感情もみせない。負け慣れている気がしてね。連敗していても、いい試合して、また頑張ってね、また試合観たいね、という声が上がる内容なら、試合は組みます。全力を出したけど、その上で相手が一枚上手で負けましたなら、次は頑張ろう、となるけど、勝てる試合も落としている状況に見えた。 それでも1週間くらい休んで、腫れた顔のまま黙々と練習を続ける。ボクシングに取り組む姿勢だけは真摯なものがあった。11連敗する選手なんてこれまでみたことないから、どうしたものか、と(苦笑)。 ただ、試合を組むのに困らない。相手のジムから指名がよく入り、マッチメークで困った記憶はない。打たれ強くてパンチ力はある。今度こそは、と思って試合を組むとまた負けてーー。もどかしさを感じていた」 通常であれば引退勧告されるべき選手だが、出田が現役を続けられた理由には、スーパーウェルター級という階級の特殊事情があった。日本ボクシング界は軽量級は盛んで世界王者も数多輩出している。 しかし、スーパーウェルター級は全17階級中6番目に重い階級で、重量制限は154ポンド(69.8kg)。日本人の世界王者は4人のみ。1階級上のミドル級では竹原慎二と村田諒太が世界王座に輝き、日本ボクシング史上、ウェルター級以上の階級では、6人の世界王者しか輩出してしない。 競技人口も少なく、中重量級は日本ランキング15名も満たさないことも多い。出田はデビュー当初12連勝もしており、A級ボクサーの資格(6回戦で2勝)は有していたため、負け続けても日本ランカーとして名前は残った。 相手ジムからすれば“おいしい”相手である。我慢強く、試合は投げ出さない。強打はあるものの、不器用で負け癖がついていて、リスクを抑えて1勝が得られる選手だ。実際、マッチメークは困らなかった、と所属ジムの会長の三迫は語る。 「私も相手陣営ならこれほど安牌な選手はいない、と思って試合を組んだでしょう。でも、ひとつきっかけがあれば好転していく予感はあった。1勝できれば負け癖が払拭できる、と思っていた。日本チャンピオンになれる潜在能力はある。そのきっかけを待っていた」 ◆連敗脱出後の試合、1ラウンドTKO負けで引退がよぎる ターニングポイントとなった試合は’20年12月の矢田良太戦だ。元ウェルター級日本王者で、再起2戦目の「第21回クラッシュボクシング」のメインイベントの相手として出田は指名された。下馬評では出田の圧倒的に不利であった。 「タイトルマッチのつもりで戦え。ここで勝てれば本当のタイトルマッチまで道が開けるから何が何でも勝て、と繰り返し出田には伝えた。 技術的な面では、手数を増やすことを意識させた。ガードの上からでも強打を浴びせ、ボディを打って、相手の体力を削り、上(頭)につなげる。その意識は徹底させていた」(三迫) 元日本王座を相手に8ラウンド判定勝ち。11連敗の真っ黒なトンネルから抜け出せた。次戦もTKO勝利を収めるが、次戦の’22年11月の試合で1ラウンドTKO負けを喫し、本気で引退を考えた、と出田が続けた。 「練習中に走り方を変えて足を痛めてしまい試合では踏ん張りが効かない状態でした。1ラウンドで倒されて、まだ戦う気持ちはあっても肉体がついてこない。足に自分の意思が伝わらず、粘って頑張るいつものボクシングがまったくできなかった。 勝てば日本チャンピオンに挑戦の話もあったようで、振り出しに戻って、そこからまた少しずつランキングを上げてチャンピオンを目指すとなるといつになるんだ、と気持ちも切れかけた。 でも帰宅したら、妻が、『次だね』と声をかけてきた。1ラウンドで負けた試合を実際に見つつもすぐにそういった声をかけてくれて」 ゼロからの出発を決意した出田。ケガの功名ではないが、1ラウンドKO負けしたことが幸いした。’22年11月8日、後楽園ホール「フェニックスバトル」のメインイベントの対戦相手として日本スーパーウェルター級王者の川崎真琴から指名を受けた。 ◆安牌扱いだった出田が日本王者の座を勝ち取れた理由 「安牌に見えたんでしょう」 三迫はそう苦笑し、こう説く。 「大阪で元日本王者に勝ったのはまぐれで、連敗の出田に戻った、とチャンピオン陣営は考えたんだと思います。マッチメークは駆け引きの世界でもあるので、1ラウンドKO負けした直後は足のケガもあったので引退させようかと思いましたが、でも逆にチャンピオンが『出田なら楽勝だ』と思って声をかけてくるかも、とは感じて試合のオファーを一日千秋の思いで待っていた」 三迫の思惑通り、王者側から対戦オファーがあった。 ’22年当時の三迫ジムでは吉野修一郎がWBOアジアパシフィックライト級王者として活躍していた時代でもある。 ’22年4月、ゴロフキン対村田諒太戦の前座で元WBOスーパーフェザー級王者の伊藤雅雪をTKOに下し、吉野の勢いがジム全体にも乗り移っていた。独りで黙々と練習する出田に吉野らと共に走り込みをすることを三迫は提案すると、「足も遅いから迷惑をかける」と固辞するところを参加させた。 土曜朝、ジム近くの公園のトラックで吉野ら若手の選手に混じって出田も800メートル走などに参加。 「リングの中では独りで戦う競技ですが、試合まではチームで備えるもの。自分のためにどれだけの人が支えているかを再認識したんでしょう。 一緒に走ることでトップ選手のプロ意識も学んでほしいと思ったし、合同練習では後ろのほうでしたが、食いしばって走り込んでいた。若い選手に混じって30代後半で、ジム内で浮いていた感じもあったけど、合同練習するようになってから、練習前後で出田なりに若い選手に声をかけるようになったし、若い選手も出田と話すようになってより活気が生まれた」(三迫) タイトルマッチでは練習していたボディ打ちが功を奏し9回1分52秒TKO勝ち。20歳のデビューから17年7ヵ月経ての戴冠となった。 出田は腕を組んでこう振り返る。 「若いときは新人王も獲って、12連勝もあって、1、2年で日本チャンピオンにはなれると思ってました。まさかこんなにかかるなんてーー」 三迫は目を細める。 「ボクサーにとって、チャンピオンになるかならないかは全然違う。何回負けたって、1回タイトルマッチで勝てれば歴史に名前が刻まれる。どうしても取らせたかった」 40歳の国内最年長王者でもある。V3となった10月のタイトルマッチでは対戦相手の加藤も39歳で、両者のボクシング人生をかけての熱戦だった。試合前まで両者の年齢がクローズアップされたが、互いに魂を削り合うかのような熱闘だった。 4ラウンド、出田が2度ダウンを奪うも、加藤は怯むことなく左を打ち返し、出田を追い詰めた。5回に出田が右のショートで加藤をぐらつかせ、パンチをまとめるとレフリーはTKOとした。勝った出田も敗れた加藤の姿も後楽園のファンの胸内に刻まれた試合だった。 試合解説を務めた元3階級王者の八重樫東もこう讃えた。 「ボクシングは世界チャンピオンだけが素晴らしいのではなく、長く競技を続けた選手が放つ輝きもあるんです」 11月21日、日本スーパーウェルター級最強挑戦者決定戦が開催される。その勝者となった最強のチャレンジャーが出田のベルトを狙ってくる。出田は飄々とした表情で次の防衛戦についてこう語る。 「どちらの選手も自分より強い。守るんじゃなくて、挑む、その気持ちで悔いなくやるだけです」 日本ボクシング界の黒鳥はどこまで羽ばたくのだろうか。 (文中敬称略) 取材・文:岩崎 大輔
FRIDAYデジタル