ロシア軍の精鋭空挺旅団が壊滅か 北東部ボウチャンシク
この旅団は北東部攻勢のテコ入れのため東部から転戦していた
ウクライナでは、第83旅団はパラシュートを捨て、初めから地上でBMD歩兵戦闘車やBTR装甲兵員輸送車などに乗る機械化旅団として戦ってきた。2023年には南部でウクライナ軍の攻撃に応戦し、今年春には数百km移動して東部チャシウヤールの攻略戦に加わった。 戦勝記念日攻勢がボウチャンシクで阻まれて失速すると、ロシア軍の司令部は第83旅団に対し、北へ転戦して北部集団軍を増援するよう命じた。 第83旅団の部隊は6月12日までにボウチャンシクの前線に現れた。ウクライナ軍のドローン操縦士、コールサイン「Kriegsforscher(クリークスフォルシャー)」は、北部集団軍は16日ごろ「第83旅団の空挺兵17人を用いた」と振り返っている。 Kriegsforscherによると、ウクライナ軍の精鋭部隊である第82独立空中強襲旅団が迫撃砲でこれらの空挺兵を攻撃し、4人を死亡させ、10人を負傷させた。 第83旅団はボウチャンシクに到着するや、早々に大きな損害を出したわけだが、信じがたいことに、ロシア側はその旅団に一段と攻撃を強化させた。「彼らはまず、第83旅団の突撃大隊を投入した。この大隊が損害を被ると、旅団の残りをすべて投入した」とKriegsforscherは説明している。 第83旅団の兵士たちにとって状況は残酷なものだった。オレグ・ベスニンというロシア兵は12日ごろ、自身の携帯電話で撮影した動画で「これ以上は耐えられない」と訴えている。「3日間、食べ物も水もない。支援もない。この先どうすればいいのかわからない」と喘ぎながら状況を説明している。後ろには、負傷した仲間の兵士2人が横たわっていたようだ。 バニョクの報告どおりなら、2週間後、定員2000人の第83旅団は、戦うのを拒んだとされる兵士を含め、あまりに多くの人的損耗を出し、もはや大規模な戦闘を行うことが不可能になった。 第83旅団は戦場から退却するしかなかった。バニョクは、第83旅団とは「バイバイ」だと絵文字で表現し、代わりのロシア軍部隊にも同様の運命が待っているだろうと予言している。ロシア軍の歩兵はボウチャンシクで消耗の罠にはまり、急激に犠牲を膨らませている。
David Axe