「孤独死」は不幸なことなの? 意外と知られていないメリットも
孤独死の究極の問題の解決策とは?
しかし、この究極の問題には対応策があるのです。自分が死んだら、その日のうちか遅くとも翌日くらいに発見される手立てを講じておけば良いのです。 たとえば、「見守りサービス」を利用するのもいいと思います。魔法瓶や電気メーターをセンサーにして、その使用状況がふだんと違っている場合に居住者の異状を疑い、親族や後見人あるいは福祉事務所など、あらかじめ指定された連絡先に情報提供されるというというものです。 そんなハイテクではなくても、宅配弁当や乳製品、新聞などを毎日宅配してもらうサービスもこの目的に使えるのです。 あるいは、一人暮らしの知り合いどうし何人かで、メールやLINEで毎朝「おはよう」メッセージを送りあう約束をしておいてもいいでしょう。メッセージが来ないと、その人に何か起こったかもと判断するのです。 こんな対策を講じておけば、孤独死の究極の問題に対応できます。そしてこの問題に対応できれば、そのほかの問題は孤独死に限らずたいていの死に共通する問題ですから、ことさら孤独死を恐れなくてもいいのです。
孤独死にもある、プラス面とは?
厚生労働省が毎年行なっている「国民生活基礎調査」によれば、一人所帯は年々増え続け、現在では日本人の9人に1人は一人暮らしです。これは若い人から老人まで合計した全国平均ですから、東京などの大都市圏の高齢者に限れば、65歳以上の3分の1、75歳以上ならほぼ半分が一人暮らしです。一人暮らしの果てに死ねば、それは孤独死。当たり前のことですね。誰の身にも降りかかる可能性のある運命を、ことさらマイナスイメージで語って不安をあおるのは、愚かなことです。むしろ、そこに秘められたプラス面を見つけ出し、その良さを十分に受け入れられるよう、孤独死と向き合って心の準備をしておく方が、賢い態度だと思いませんか? というわけで、最後に孤独死のプラス面を紹介します。 たとえば、誰も悲しませずに済みます。人間、ある程度の年齢になれば、親兄弟、親戚、友人、知人の死に立ち会います。悲しいものですね。死は、死んでいく者よりも残される者にとってこそ悲しい。でも、誰にも知られずひっそり死ねば、誰も悲しませずに済むのです。それは、人生の最後に立派な功徳を積むことになる、と思いませんか? あるいは、突然の葬式で多くの人の仕事や用事の邪魔をせずに済みます。前々から分かっている結婚式と違って、葬式は突然で、時として関係者の生活スケジュールを混乱させます。孤独死なら、生者が死者のために煩わされるというナンセンスを未然に防げます。 一人で死ぬのだから、残された者の将来が心配で死んでも死にきれない、ということもありません。心安らかに死ねます。 自分の死後の評判を気にする必要もありません。死んだらすぐに忘れられてしまうのです。誰もその人の悪口を言う人はいません。気楽なものです。 つまり、孤独死とは、誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑をかけられず、ひっそりと生き、誰の心にも波風を立てず、悲しみを引き起こさず、ちょうど寿命の尽きた樹木が静かに朽ち果てるように、世間の片隅で静かに心安らかに死ぬ。そんな生き方であり、死に方です。歴史をひもとけば,古代ギリシアやローマ(たとえばエピクロス派)、あるいは昔のインド(ブッダとその弟子たち)、そして中国(老子や荘子)の多くの哲人・聖者が理想としたのも、こんな生き方、死に方だったでしょう。 いかがですか? 孤独死にも少しは良いこともあると思えませんか? (心療内科医・松田ゆたか) 【連載】不幸ではない「孤独死」から、老いと人生を考える