そりゃ退屈も事故もないほうがいい、はず。けどいざなくなってみると世界は
東京でジャムイベントが流行らない理由に思い当たってしまう筆者。なぜ?
最初に述べたとおり、ジャムなんてサウンドも予測不能、メンツも予測不能、だから当然のように事故ります。私個人の体験でいえば、演奏してたらマイク・ミッチェル=現Blaque Dynamiteが入ってきたというのが人生イチのホラー体験ですね。2分とメンタル持たずに交代してもらいましたが(いま思い出しても嫌な汗が出る)。 そこまでじゃなくても、奏者のレベルがアンマッチで演奏が噛み合わないとか、おかしなやつが乱入してきちゃって追い出すとか、ただなんとなく音楽がどうにも発展しなくてしんどいレベルに留まってしまうとか、当然のようにあるんです。ただプレイヤーもハコも客側もそういうときのレジリエンスというか、まあ事故ったら事故ったでそんときはそんとき、という適当さがあって、それでイベントが続いていく。 東京のミュージシャンの技量はとても高いけれど、もしかしたらそういう失敗のハードルみたいのも高くて、ハコも参加者も主催者も事故りたくなくて、それでジャムイベントが流行らないのかもしれないね、とかそういったことを話しました。 別のお客さんには「さっきみたいにサウンドを変化させていくのってどうやってるんですか」と聞かれました。さっきみたい、というのはたぶんリハモナイゼーションのことで、リハモというのはたとえばあるメロディを繰り返していくうち、それまでとは違うコードに付け替えていくこと。ジャムにおいては割と中核をなすテクニックのひとつです。 ただ日本のポップスにおいては音源でもライブでもこのリハモがほとんど出現しません。それで耳馴染みがなかったのだと思います。なぜ出現しないかというと、必要とされないからです。プレイヤーがリハモに至る動機というのは端的に言えば「うんざり」にあって、ああもう繰り返しにうんざりしてきたからコードを付け替えて色彩を変化させよう、となる。 進行が複雑で繰り返しの少ない日本のポップソングは、刺激が次から次へと補充されて、リスナーをうんざりさせる前に曲が終わってしまう。素晴らしい技巧です。素晴らしいけど、でもそれだとうんざりする体験が得られない。うんざりを知らないから、うんざり回避のテクニックも普及しない。そういうメカニズムなんじゃないかな。 などと与太を飛ばしていたら、話の輪にいたあるお方が、それもあるけど、そもそもサポート仕事でリハモとか許されないし、たとえアーティストが望んだとしても客が許してくれない。音源どおりの演奏を望む客が大半で、もし都度アレンジを変えたりしたら事故ったように言われてしまう。と教えてくれました。うーん、また事故防止かー。安全猫が流行りすぎるのも、ちょっと考えものな気がしてきました。 --- 唐木 元 東京都出身。フリーライター、編集者、会社経営などを経たのち2016年に渡米。バークリー音楽大学を卒業後、ニューヨークに拠点を移してベース奏者として活動中。趣味は釣り。
Rootsy / Gen Karaki