発災翌日には現地入り―能登半島地震で全日病AMATが果たした役割と見えた課題
◇“民間病院の心意気”感じた活動
AMATは2011年3月に起こった東日本大震災で、民間病院が苦境に陥ったことから設立に至った。1995年に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに、大規模災害や多くのけが人が発生するような大規模事故の際、すぐに現場で活動できる医療チーム「DMAT」が創設され、災害医療を行う医療機関を支援する病院である「災害拠点病院」が全国に設置された。ところが、東日本大震災では災害拠点病院にはDMATが派遣され支援物資が送られた一方、民間病院には支援の手が届かなかった。こうした現実に対し、災害に見舞われた民間病院の支援体制を確立・強化するために設立されたのがAMATだ。 発足以降いつ起こるか分からない災害に備え、2016年4月の熊本地震、西日本を中心に全国の広い範囲で記録的な大雨が降った2018年6~7月の豪雨災害などで活動してきた。訓練と経験を積んできたが、災害には2つと同じ現場がなく、想定外の状況や出来事が起こりうる。 今回の災害派遣でも課題が見つかった。加納委員長が解説する。 「メディアで報道されているように、能登半島地震では多くの道路が寸断されました。そうしたなか、AMATは道なき道を移動するという状況になり、非常に苦労したと聞いています。また、全ての隊が衛星電話を所持しているわけではなかったのですが、情報網も大きく損なわれる災害では衛星電話がないと連絡が非常に難しくなってしまうため、今後に備えて検討が必要と感じました。隊員の宿泊先の確保、冬の北国での車の運転、万一の事故などに備えた隊員の保険の補償項目の見直しなどさまざまな問題が見つかりました」 一方で、AMATの意義を再認識したとも加納委員長は言う。「AMATに対する各病院の意識が非常に高かったのが、一番うれしかったことです。自主的にこれだけの災害活動ができたことに、民間病院の心意気を感じました」 今回の災害出動で見えた課題と成果を整理し、貴重な経験として積み上げて今後の活動につなげていくという。
メディカルノート