古代日本の犬物語 『古事記』や『日本書紀』に描かれる人と犬の不思議なストーリー
犬は古代から日本人と共に暮らしてきた。犬の埴輪が出土しているから、縄文時代にはすでに人間のそばにいたと考えられる。今回は、『古事記』や『日本書紀』、『今昔物語集』などから、人と犬の不思議な物語をご紹介する。 ■『古事記』や『日本書紀』でも登場する犬 8世紀になると『古事記』や『日本書紀』が成立し、地域の文物や産品についてまとめた『播磨国風土記』や説話集『今昔物語集』なども登場する。そこにしばしば、神話と一体になった犬の物語が出てくるのである。 『日本書紀』には、たとえば景行天皇四十年条に、日本武尊(やまとたけるのみこと)が犬に助けられる有名な話が出てくる。東国を平定して帰還途中の日本武尊一行は、山深い信濃の道中で迷ってしまった。そこに山の神が白い鹿に姿を変えて現れ、道をさえぎる。 日本武尊は蒜(ひる)を投げて白い鹿を倒したものの、急に道も方角もわからなくなってしまう。そんな時、どこからともなく白い山犬が現れて、導かれるように一行は美濃へ出ることができた。 一方、雄略天皇十三年条、文石小麻呂(あやしのおまろ)の話では、犬は全く違う役割を演じている。小麻呂は播磨の豪族で傍若無人であり、朝廷に叛逆していた。道をふさぎ、船を止めて積荷を奪うといった乱暴狼藉を働き、租税も収めない。 そこで雄略天皇は小麻呂討伐を決め、命を受けた春小野臣大樹(かすがのおののおみだいじゅ)が兵を連れて播磨に向かった。そして小麻呂の館に火を放ったのである。すると炎の中から、馬のように大きい白い犬が飛び出してきた。大樹がその犬を斬ると、犬は小麻呂の姿になったのである。 『古事記』にも雄略天皇の話が出てきて、そこで犬はまた違う役割を担っている。雄略天皇が、若日下部王(わかくさかべのきみ)という女性に求婚に行く途中、村の豪族・志機大県主(しきのおおがたぬし)が、天皇の家に似せた立派な家に住んでいるのを見て腹を立て、その家に火をつけようとした。 すると志機大県主は天皇に頭を垂れて謝罪し、白い犬に布をかけて献上した。そこで天皇は犬を受け取り、火をつけるのをやめた。そして若日下部王の元に「これは道中で得た珍しいものである。これを結納の品にしよう」と言って渡し、求婚に成功する。 それにしても、天皇の家に似ているからと火をつけるとは、ずいぶん乱暴な話に思えるが。これには、天皇の力が強くなっていた時代背景があるようだ。 ■『今昔物語集』で描かれる白い犬 『今昔物語集』にも白い犬の話がいくつもある。その一つが「犬頭糸(けんとうし・いぬかしらいと)」にまつわる話だ。三河ではこの糸が税として収められていた。 犬という字がついたこの糸の由来が、巻二十六の十一に記されている。ある郡司が三河国で、妻二人に養蚕をさせて豊かに暮らしていた。しかし、本妻の蚕がなぜかみな死んでしまう。すると郡司は、何かの祟りかと気味悪がって寄りつかなくなった。 以来、本妻は収入も途絶え淋しく暮らしていた。それから数年たち、桑の葉に蚕が一匹だけついているのを見つけたのである。一匹では糸も取れないけれど、一人暮らしで寂しいこともあり、大切に育てることにした。 その本妻は白い犬を飼っていた。ある日、その犬が大きくなった蚕を食べてしまったのである。それを見た本妻は「蚕一匹も飼えないなんて、これも前世からの因縁なのだろう」と悲しみ、犬の前で泣いた。その時、本妻の方を向いて座った犬がくしゃみをして、その鼻から美しい白い糸が出てきたのである。 その糸は引いても引いても延々と出てくる。最後、ついに糸の末端が出てきて犬の命は尽き、倒れた。それを見た本妻は「これは仏が犬になってお助けくださったのだ」と思い、亡き骸を桑の木の根元に埋めた。 ちょうどその頃、郡司が家の前を通りかかった。そして、あまりの寂れぶりを見て気になり家に入ってみると、本妻が大量の白く美しい糸を持て余している。驚いた郡司は事情を聞いた。そして「仏がお助けになった女性を疎んでいた」と後悔し、そこでまた暮らすようになったのである。 その後、犬を根元に埋めた桑の木には蚕がびっしりとつき、白く美しい糸が大量に取れた。郡司はことの経緯を国司に話し、国司はそれを朝廷に伝えた。その結果、三河ではこの糸を献上することになったのである。 日本文化史と犬との関わりについての貴重な書籍である『犬の日本史 人間とともに歩んだ一万年の物語』(吉川弘文館)で、著者の谷口研語は、「古代の伝承には白い動物にまつわるものが多い」と述べている。 確かに白い動物には、夢のような美とはかなさがある。日本人は白い動物に神々しさを見てきた。宮崎駿監督の傑作『もののけ姫』に出てくる犬神も白い。それが500歳という設定に説得力を与えた。 同じ『今昔物語』巻二十九の三十二にも、日本最古の忠犬物語がある。陸奥国に貧しい男がいて、犬たちを連れて猟をするのを生業としていた。ある日、男は食糧を持って泊まりがけで山に入った。そして夜になったので火を焚き、自分は大きな木の空(むろ)に入った。 犬たちは火の回りで寝ていた。ところが、一番賢い犬が起きて、主人のいる空に向かって吠え立てたのである。男は左右を見回したが不審なものはない。犬はますます激しく吠えたて、しまいには男に向かって噛みつこうとする。 男は「誰もいない山中で俺を噛み殺そうとしているのか」と思い、太刀を抜いて脅かしたが犬は吠えやまない。そしてついに、空の上に躍り上がって何かに食いついた。と同時に得体の知れないものが落ちてきた。 よく見るとそれは大蛇で、犬はまだ頭に食いついている。男は急いで大蛇の頭を切り落とした。大蛇は木の上方に棲みついていて、男をひと呑みにしようと、頭を下げたのである。それを見た犬が吠え、躍り上がって食いついたのだった。 男は「もし勘違いをして犬を切り殺していたら、どんなに後悔したことだろう」と思った。「それにしても、この犬は大したものだ、この世で得難い宝だ」と思いつつ家路についたのだった。
川西玲子