八代亜紀さん、膠原病からの急速進行性間質性肺炎で急逝「婚姻届けの保証人は八代さん。人にも動物にもとことん〈優しい〉人だった」新田純一
◆誰に対しても優しい人だった 新田 ヘアメイクをしているときって、八代さんと二人きりになるでしょう。僕にはわからない、二人だけの絆みたいなものがあったんだろうね。だからこそ、八代さんがあなたを離さなかったんだろうし。 大内 私にだけ見せてくださったお顔は、確かにあったと思いますが、とにかくいつも前向きでした。29年の間には、落ち込みそうな出来事も何度かあったのに、全部はねのけて、プラスに変えて。 新田 誰に対しても優しい人だった。高齢者施設を訪問したときは、カメラがまわっていない間も入居者の方の手をずうっと握って話し込んでいたし、信号待ちで近くに赤ちゃん連れがいたら、近寄って必ず声をかける。 大内 女性刑務所の慰問活動も長く続けていらした。お話を伺うと、「男にだまされた」とおっしゃる方が多いんですね。八代さんの歌には、尽くす女性や、女の哀しみを描いた曲が多い。それで八代さんが歌うと、受刑者たちが号泣して、刑務官も私たちもみな泣き出してしまう。 八代さんは、「卒業」という言葉を選んで、「ここを卒業されたら、私は全国で歌を歌っていますから会いに来てください」と語りかけていました。あるとき、コンサート会場の楽屋口で女性が待っていて、「卒業しました」と言ったんです。八代さんは、ピンときたのでしょうね。その方とお話をなさっていました。 口先だけではなく、いつも心動かされて行動し、人とかかわっていたように思います。
新田 人間が好きで、誰に対しても優しい。あ、人間だけじゃないか。保護猫や保護犬の活動にもとても熱心だった。 大内 そうそう、インタビューを受けて「一番好きなお花は?」と問われたとき、「私は、一番は決めません。決めちゃうとほかのお花がかわいそうだから」と答えていて。なんて優しいんだろうと思いました。 新田 ラジオ日本の玄関を入ったところに熱帯魚がいっぱいいる大きい水槽があって、そのなかに一匹だけ、ボロボロの熱帯魚がいるんです。八代さんはその子に「ドリー」と名付け、収録が終わると必ずそこに立ち寄って、「ドリー、元気?今日も会いに来たよー」と話しかけていました。 大内 私たちだけでなく、八代さんとかかわった人は、きっと誰もが、こういう思い出を持っているのでしょうね。 新田 そうだね。歌手としての八代さんは唯一無二の歌声を持ち、ジャズも歌えばロックも歌う。ジャンルを超えた存在である一方で、《演歌の女王》でもある。あれだけのヒット曲と歌唱力と人間性を持ち合わせた、まさに《女王》。そんな八代さんの弟分であることは僕の誇りです。 大内 私もそうです。共に過ごさせていただいた日々は私の一生の宝物。感謝しかありません。 (構成=平林理恵、撮影=藤澤靖子)
大内聡子,新田純一