ブルース・リーと堀江謙一。サンフランシスコで今でも存在感を放つ2人の偉大なアジア人の足跡を訪ねる
文・写真/角谷剛(海外書き人クラブ/米国在住ライター) 日本人が観光しやすいという尺度から米国の都市をランキングするなら、カリフォルニア州サンフランシスコはハワイ州ワイキキに次ぐのではないだろうか。地理的にも近く、直行便も多く運行している。地域内の人口にアジア人が占める割合がきわめて大きいことも、居心地の良さを生み出す要素のひとつだ。 写真はこちらから→ブルース・リーと堀江謙一。サンフランシスコで今でも存在感を放つ2人の偉大なアジア人の足跡を訪ねる 関連記事:ジョン万次郎は49ersの一員だった! ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコで交錯した日本人漂流者たち そのサンフランシスコにおいても、もっとも有名な観光スポットの近くに位置する博物館で大きく取り上げられている2人のアジア人がいる。ひとりは映画スターの域を越えて、タイム誌による「20世紀で最も重要な100人」のひとりに選ばれたブルース・リー、もうひとりは『太平洋ひとりぼっち』で知られるヨット冒険家の堀江謙一である(敬称略)。 北米最大、アジア以外では世界最大と言われるチャイナタウンの中心部からやや外れたところに『Chinese Historical Society of America』(在米中国人社会歴史博物館)がある。伝統を感じさせる古いレンガで作られた2階建ての建物だ。 この博物館で常設展示されているのが、ブルース・リーの生涯に関する様々な資料である。キャッチフレーズは”We are Bruce Lee”(「我々はブルース・リーである」)。 写真やフィルムの他、リーが遺した手書きの文章、自ら工夫したトレーニング器具など、他では見ることができない貴重な資料も多い。筆者が訪れた2024年8月時点では、館内展示物のほとんどがブルース・リーに関するものだった。 チャイナタウンから北へ海に向かって20分ほど歩くと、フィッシャーマンズ・ワーフが見えてくる。元々は漁港であったが、現在はレストランやギフトショップが立ち並ぶ人気観光スポットである。 その西側に建つ『San Francisco Maritime Museum』(サンフランシスコ海洋博物館)の正面入口を入ってすぐの1番目立つところに『マーメイド号』と言う名のヨットが展示されている。1962年、当時23歳だった堀江が単独無寄港太平洋横断を成し遂げた艇の実物だ。驚くほど小さい。 兵庫県西宮を出港した堀江は、当初は「密出国」の扱いで各方面から非難を浴びた。しかし、94日間の航海の末に到着したサンフランシスコでは英雄として迎えられた。そうした経緯も展示資料から知ることができる。 堀江は2022年には逆のルート、つまりサンフランシスコから日本までの単独無寄港太平洋横断に成功している。そのときの堀江は83歳。無論、世界最高齢記録である。 リーは1940年生まれ、堀江は1938年生まれ、ほぼ同世代人である。32歳でこの世を去り、今なお人々の記憶に残るリー。80歳を過ぎても新たな挑戦を続けた堀江。対照的な2人の英雄の軌跡は興味深い。 上に紹介した2つの博物館は約2kmしか離れていない。元気のある人なら歩ける距離だし、現に筆者は歩いた。サンフランシスコは主な観光スポットの多くが中心部の狭い地域に集中していて、ほとんどは徒歩で見て回ることが可能である。 ただし、多くの港町がそうであるように、サンフランシスコは坂が多い。1日に何回かは必ず、まるで上級者スキーゲレンデのような急傾斜を上り下りする覚悟は必要になる。 安心してほしい。歩きが苦手、あるいは好まない人にも、サンフランシスコは観光しやすい街である。以前からケーブルカー、バス、地下鉄といった公共交通機関が発達しているので、車を運転しなくてもさほどの不便はない。 さらには、サンフランシスコは無人運転タクシーのWaymoが市内をフル運行している、現在のアメリカでも数少ない都市のひとつである。 スマホのアプリで乗り降りする場所を指定すると、運転席にだれもいない車が迎えに来てくれる。支払いはあらかじめアプリに登録したクレジットカードで行う。行き先が運転手に通じるか、チップはどれくらい払うべきか、そんな心配は不要になる。興味のある人は試してみるのも一興だろう。 『Chinese Historical Society of America』(在米中国人社会歴史博物館) 965 Clay St, San Francisco, CA 94108 『San Francisco Maritime Museum』(サンフランシスコ海洋博物館) 900 Beach St, San Francisco, CA 94109 文・写真 角谷剛 日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員。
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