原爆軽視が根付くアメリカ。『オッペンハイマー』に日本人精神科医が今思うこと
アカデミー賞で、作品賞や監督賞など7部門を受賞した映画『オッペンハイマー』がついに29日に公開となった。 【写真】戦後の男女平等の基盤を作った、ベアテ・シロタ・ゴードンってどんな女性!? 本作は日本での公開が危ぶまれていた。日本は世界で唯一の被爆国であり、「原爆の父」と呼ばれるオッペンハイマーが描かれること自体を、そして原爆投下後の広島や長崎の惨状が描かれていないことを問題視する声が当初から上がっていた。さらに昨年7月、アメリカで『バービー』と同日に公開されたことで、SNS上でふたつの映画をモチーフにした原爆を揶揄するようなファンアートが「#Barbenheimer」のハッシュタグと共に多数投稿され、国際的な炎上問題に発展。日本のSNS上では、「これは許せない」「原爆の真実を知らなすぎる」というコメントや、アニメ『はだしのゲン』の動画や原爆被爆者の方の被害写真と共に抗議する声も上がった。 騒動の最中の昨年8月6日、「広島平和記念日」に、このオッペンハイマーのファンアート問題から、アメリカの原爆に対する意識について寄稿してくれたのが、著書『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)が話題のハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞さんだ。記事は当時、話題を集めた。 内田さんにとって広島は祖父の出身地であり、現在も親戚が多く住み、幼い頃から広島での原爆体験を聞いて育ってきたという。その内田さんがアメリカで感じた、原爆に対する日米の価値観の違いに対する思いを、映画『オッペンハイマー』の公開に合わせて再構成して前後編でお届けする。
知らなかったオッペンハイマーの生涯
映画『オッペンハイマー』の主人公であるJ・ロバート・オッペンハイマーという人物について私が知ったのは、夫と付き合い始めた15年ほど前のことでした。 チェリストで当時イエール大学音楽院の博士課程にいた夫は、その日受けた授業にとても感動したと、興奮気味に話し始めました。それは、オペラ作家でグラミー賞にも輝いたことがあるジョン・クーリッジ・アダムズ氏の授業で、彼が特別講師として自身の代表作であるオペラ『ドクター・アトミック』を題材にしたものだったというのです。 オペラ『ドクター・アトミック』は、オッペンハイマーの生涯を描いた作品です。ドイツで教育を受け、ユダヤ人物理学者として第二次世界大戦の終焉を強い目的に掲げ、「ドイツ、ロシアよりも先に作らなければならない」と、物理学の知識を提供した原子爆弾の制作を指揮したオッペンハイマー。このオペラでは、科学的な前進と人類にとってのモラルの葛藤が丁寧に描かれていたそうです。 この話を夫から聞いた後、とても気になり、すぐにオッペンハイマーについて調べ始めました。第二次世界大戦の米国の原爆開発・製造計画の「マンハッタン計画」に加わった一部の研究者は、原爆の威力を見せつけることが目的であるならば、無実の市民を犠牲にするのではなく無人島に核爆弾を投下し、日本に降伏を迫ろうと当時の大統領のトルーマンに請願を提出しました(シラードの請願書)。これをオッペンハイマーは拒否したこと。しかし原爆投下後には、核兵器開発の研究の打ち切りを強く訴え続けたことで「共産主義のスパイ」という疑いをかけられ米国政府から遮断されたこと。そして自身が関わった兵器が多くの人の人生を崩壊したことに、彼が晩年までうなされ続けたことを知りました。 その後、夫とオペラ『ドクター・アトミック』を映像で見る機会がありました。高校時代に隣のクラスが文化祭で上演した野田秀樹作の原爆をテーマにした演劇『パンドラの鐘』を見た時の感動を思い出しました。 映画『オッペンハイマー』にも、同様の感動があることを期待していました。実際に見たら、オッペンハイマーの人生に関わる複数のタイムラインを同時に話に組み込んだ巧みなストーリー展開、主演のキリアン・マーフィーの圧巻の演技と、戦争に対する葛藤などオッペンハイマーという人物の壮絶な人生ドラマに引き込まれ、色々と考えさせられる作品でした。「反核兵器」のメッセージも所々に散りばめられています。でも、心に強く残ったのは、原子爆弾の被害のあまりの現実感のなさでした。 本作は、天才的な科学者であるオッペンハイマーが政治家のゲームに巻き込まれ、「ロシアのスパイ」だと不当な疑いをかけられる半生を軸に展開します。第二次大戦から冷戦に向かうアメリカでは少しでも共産主義に対してシンパシーを見せると「危険な敵」と見なされる状況を見て、本来は共産主義と資本主義の二択ではなくブレンドも成り立つはずなのに、このような「仲間」と「敵」で二分化する主義の分断が、今現在のアメリカ、そして今の世界の分断につながっているのかもしれないと感じました。 しかし、オッペンハイマーという人物の壮絶な人生、その背景にあるアメリカ史には引き込まれたものの、描かれる被害の現実感のなさから、「遠くの日本という重要ではない国に起きたこと」として語られている印象をどうしても受けてしまいました。 これは、「アメリカでは原爆に対する認識が日本と異なる部分はある」という現実があるからです。そして、リアルな原爆の被害について世界では驚くほど知られていないという現実に向き合い、日本人として何とも言えない嫌な気持ちになる居心地の悪さを学生時代から幾度となく経験してきました。