大谷翔平「50-50達成」の原点…プロ初本塁打を“打たれた”男の告白 引退後に変わった“第1号”への想い「打たれた当時は悔しかったですけど…」
初対戦で感じた「大谷の凄味」とは?
初球。真ん中からインコースに曲がるスライダーに大谷のバットが反応する。ショートゴロに打ち取ったものの、この時の永井は自らのチェックリストに新たな大谷の凄味を追加したのだという。 それは、スイングスピードの速さだ。 「打席での反応を見てその印象があったんですね。なので、『甘いところに投げたら打たれるから注意しよう』とは意識していました」 永井の述懐のように、警戒はしていたのだ。それを凌駕する対応をまざまざと見せつけられたのが、4回の2度目の対戦である。 1-1から1点を勝ち越され、なおも1アウト三塁のピンチで大谷を打席に迎えた。 初球はインローへのカーブで様子を見て1ボール。そして、2球目の大谷のひざ元を厳しく突くストレートは、永井も手応えを抱くほどの1球だったのだという。 このボールが「よすぎた」ことが、結果的に裏目に出てしまったのである。 2ボールからの3球目。ストライクゾーンいっぱいのインコースへ投じる。ボールの軌道は悪くはない。だが、永井は心の中で叫んでいた。 甘い! 大谷が懐に左ひじを潜らせるようにバットを押し込み、下半身をくるりと回転させる。ボールを捉えられ、放たれた打球は弾丸ライナーでライトスタンドに突き刺さった。 大谷にとってプロ92打席目でようやく飛び出したホームランは、実質的に永井がノックアウトされる一発となってしまった。 当時は悔いの残る1球となったが、あとになって頭を整理すると、大谷のバッティング能力の高さが鮮明に浮かび上がってくる。 「2球目が厳しいところにいきすぎていたんで、3球目も厳しいと言っても大谷選手のなかでは、前のボールより中に入っているというか、甘めに見えていたはずなんです。前の打席からも含めて、1球、1球、ピッチャーの球筋とかを分析しながらしっかり対応されて。打たれて改めてすごさというか、そんな雰囲気を感じましたかね」 永井と大谷の対戦は、この打席が最後となった。 引退を決断した15年には、自分からプロ初ホームランを放ったプレーヤーは、二刀流として巨人の如き進撃を日本球界に植え付けており、そして18年に海を渡った。 野球の最高峰であるメジャーリーグでも2度のアメリカン・リーグMVP、昨シーズンにはアジア人初のホームラン王にも輝いた。その本数は、日米通算270本、メジャーだけでも222本を記録する(9月20日現在)。さらに今シーズンは、前人未到の50ホームラン、50盗塁の「50-50」を成し遂げた。 永井から始まった大谷のホームランレコード。今では栄光の軌跡として、1本の積み重ねが世界中を釘付けにしている。
「打たれた当時は悔しかったですけど…」
打たれた側ながら誇らしく。永井が紡ぐそんな矛盾も、相手が大谷であればこそ、誰もが納得してしまうのかもしれない。 「打たれた当時は悔しかったですけど、今ではありがたいと思っていますよ。大谷選手が打てば打つほど、クローズアップされるかもしれないですしね。彼にとって記念のホームランは、僕にとっても記念になっています」 記録は年月の経過とともに色彩を変える。 大谷に許した「プロ第1号」。不名誉だと思っていた記憶は、今では永井にとって語り継ぐに値する足跡となっている。
(「野球クロスロード」田口元義 = 文)
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