「息子は継母の虐待でPTSDになった」父が語った“首相官邸襲撃男”の家出と宗教団体“2世信者の恋人”との別れ
自民党本部に火炎瓶を投げ込み、大量のガソリンを積んだ車で首相官邸に突っ込んでいった臼田敦伸(あつのぶ)容疑者(49)。友人関係を断ち、一度は心を許した同居する父親ともほとんど会話をしないまま、5年以上前から今回の犯行の準備を始めていた可能性が浮上した。なぜ自分を社会から孤立させていったのか。父親の話から、手がかりになりそうな軌跡が見えてきた。 【画像】 〈画像あり〉机に残された3つのモニターと“味ポン”、六法全書…臼田容疑者の部屋のなか
「継母から虐待を受けていた」「同級生から無視された」
「実は息子は、継母に虐待されていたんです。その記憶が大人になってからもよみがえり、苦しんでいました。私も悪かったんです」 そう話すのは臼田容疑者と暮らしていた父の歯科医師、臼田篤伸(とくのぶ)さん(79)だ。 「私は2回離婚してます。息子(臼田容疑者)が2歳の時に、0歳の弟もいたのですが、最初の妻と別れました。弟の方は最初の妻が引き取りました。 離婚直後、『子どもには母親が必要だ』との親戚の助言を受け、結婚紹介所で知り合った女性と結婚しました。この後妻が、息子より4歳年上の連れ子の娘と一緒になって息子をいじめていたんです。 それを当時私は全く知りませんでした。後妻が息子に『お父さんに言ったら承知しないよ』と厳しく口止めしていたようです」 虐待の被害は臼田容疑者が35歳のころ、篤伸さんが後妻と離婚した後に告白したのだという。 「虐待は言葉によるものが多かったようです。優しい言葉をかけず、バカと言ったり、『親父がどうしようもない』とか。暴力も振るわれていたと息子は言いました。跡が残らないように叩かれていたようです」 篤伸さんの歯科医院は自宅から離れた場所にあり、当時多数の患者がやってきて多忙を極めていた篤伸さんは家庭内で起きていたことを察知できなかったと振り返る。 それでも地元の小学校を卒業した時、臼田容疑者は明るく元気な子だったという。中学、高校は埼玉県内の私立の男子校に進学。中学3年間は皆勤だった。 「この中学時代に同級生からもいじめられていたようです。暴力を振るわれることはなかったようですが、無視されていたようです。この話も、息子が大人になってから、かなり後で聞きました」 高校を出た臼田容疑者は川崎市の運送会社の寮で暮らすようになる。8年勤めている間、正月も家に帰ることはなく、「家出」に近いものだったという。