72歳男性が号泣…「突如この世を去った従兄弟」の悲しすぎる最期とは?彼を救った「優しい嘘」
自分の中での「葬式」が終わった
大切な人を亡くした後、悔やんだ気持ちだけで泣き過ごすのは、できる限り避けたいことです。 庄太郎さんとの記憶のひとつひとつが浮かびあがり、欽二さんの胸の中が良い思い出で満タンになって、なつかしさから涙がこぼれる。その時がきたことを感じながら、私も安堵してもらい泣きをしました。 泣き始めた欽二さん。 私は、それで良いと思い、時間がゆっくり流れるような雰囲気づくりに気を配ってみました。周りを気にせずに泣いてほしい。気持ちが穏やかになるまで泣いてほしい。その思いで、見守っていました。 時計は一切見ずに静かな気持ちで時を待ちました。すると、欽二さんから話し始めたのです。 「今日は本当にありがとうございました。今日、この時間に私はあなたと『庄太郎の葬式』をやってあげた気分になっています。 これまでの重い気持ちではなくて、雨雲が消えて晴れたときのような気分です。庄太郎と直に向き合い、庄太郎を近くで思って話すことができた気はします」 誰よりも近いところでお別れができたようです。私にはこの時間が大事でした。それが叶って本当によかった。「ありがとう」とお辞儀をされるお姿に、私もお辞儀を返すという穏やかなひとときに恵まれました。 店内での欽二さんとのお話を終え、お会計前に席を外し、私はレストルームに向かいました。そこで甥の明彦さんに電話で内容を伝え、「あとは欽二さんから聞いてください」と告げて電話を切りました。 欽二さんもやはり、私と別れたあとに明彦さんに電話をかけていらっしゃいました。割と大きな声で会話をされていたので、徐々に笑顔になっていく様子が見てとれて、私も安心したのです。1時間後くらいに、甥の明彦さんからお礼の連絡をいただき、今回の相談は終了しました。
ついても良い嘘がある
私は「ついて良い嘘がある」ことを、葬儀の現場で学びます。今回もまさにそれでした。相談内容によっては私どももよく考えなければならないことを、今回も学ばせていただきました。 現在、大きな問題になっている「大切な人を亡くしたあとの遺族の心のケア」。 ここを蔑ろにしていないつもりでも、実際につらい思いを抱えている人は多いのです。葬儀社のひとりひとりが、家族のひとりひとりが、互いを思いやれないと感謝の温かい涙はこぼれないことを、私は毎回感じています。 その手助けになれるのは、本来は葬儀社と思われるかもしれませんが、日常の仕事に追われていると、全員を癒し続けることは結局のところ限界があります。 そこで大事になるポイントが、普段からの家族との触れ合いであり、近隣とのお付き合いの中で近隣者を通して我が家族を客観視できるようにすることも、そのひとつです。お年寄りがいたら観察もしておくことも欠かせないでしょう。 家族の亡くなり方を隠さないとならない場合、そこにはさまざまな理由が存在します。ただ、今回の庄太郎さんの場合は、彼の認知症に気づいてやれていたら、このような亡くなり方を防ぐことは叶ったのではないでしょうか。家族で関心を持ち合うことも大切になります。 「人の不安に感じる心と向き合える」そんな存在がいると、何かあるたびに助けられる上に、自身も助ける方法が身につくようになります。そうなると今度は、困った人を助けることもできるようになると感じています。 今回も読んでくださり、ありがとうございました。 * * * つづく記事〈48歳男性が絶句…「父の葬儀」を台無しにしたお坊さんの「最悪すぎる振る舞い」〉では、葬儀の場でおきた、信じがたいトラブルを紹介する。
安部 由美子(一般社団法人日本葬祭コーディネーター協会代表理事)