【和田彩花のアートさんぽ】大人をも魅了する豊かな絵本の世界へ──ちひろ美術館・東京
今回、向かった先は、東京都練馬区にある世界初の絵本美術館といわれる「ちひろ美術館・東京」。絵本画家のいわさきちひろさんが最後の22年を過ごした自宅兼アトリエ跡に所在します。 【全ての画像】和田彩花のアートさんぽ/大人をも魅了する豊かな絵本の世界へ―――ちひろ美術館・東京 美術館の始まりは、ちひろさんが亡くなった後、自宅の敷地に小さな美術館を建てたことがきっかけです。その後、全国からたくさんの人が訪れるようになり、少しずつ建て増ししていきました。そして、2002年に今のバリアフリーの建物にリニューアルされたのだそうです。 建物は、分棟形式でつくられており、1階のエレベーターホールからあちこちへ通路が伸びていきます。人の記憶、建物の記憶をつなぐことを大切に、建築家の内藤廣さんによって設計されました。 エレベーターホールから見える「ちひろの庭」も大切な展示の一つなんだとか。花壇と飛石のあるお庭では、マリーゴールドやアサガオ、ホウセンカなどの懐かしい花々が顔を覗かせます。 ちひろさんが生涯描いた子どもの姿とよく一緒に描かれた四季折々の草花は、80種類に及ぶそうです。 それでは、たくさんの人の記憶が詰まったちひろ美術館・東京で開催中の企画展『いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ』(10月6日(日)まで)を見ていきましょう。お話を伺ったのは、ちひろ美術館・東京 シニア・アソシエイト 主任学芸員の原島恵さんです。 「没後50年を迎える今年は、ちひろが大切にした、子ども・自然・平和の3つのテーマで展覧会を開催しています。毎月、数多くの新刊絵本が出ている現在、ちひろ作品に触れずに大人になる子どももいます。美術館では、ちひろの絵と出会ってほしいという願いから展覧会タイトルに『こどものみなさまへ あ・そ・ぼ』とつけました。かつて子どもだった大人のみなさまにも楽しんでほしいです」 展覧会ディレクターには、デジタルデバイスとアナログ的な思考を組み合わせ、創造的な学びや体験づくりに取り組むアートユニットplaplaxの近森基さんと小原藍さんが迎えられています。さらに、今回の展示には科学的な視点も込められているんだとか。京都大学准教授(発達心理学・認知科学)の森口佑介さんの企画協力を得て、科学者の視点からちひろ作品を紐解いていく、大人も楽しめる展示になっています。 まず、はじめに絵本『ひとりでできるよ』(福音館書店、1956年)を紹介します。本作はちひろさんがはじめて丸一冊手がけた絵本だそう。「1956年に刊行されたこちらの絵本ですが、51年に生まれたちひろの一人息子をモデルに意欲的に描いた絵本です。本作をきっかけに子どもを描ける画家として評価され、その後、子どもの本の世界で活躍を広げていきました」 作品の横には何やらおもちゃの展示まであります。「小さなお子さんは、美術館で絵を見ることに慣れていません。今回の展示では、親しみやすいおもちゃを展示するなどして、自然に絵の世界に入ってもらえる工夫をしています」 それから、ちひろ美術館では、作品の中心が床から135㎝の高さにくるよう設定されていますが、今回の展示はさらに低い位置にも設置されています。一般的な展示室では、私の身長162㎝でも見やすい145㎝~150㎝の高さに設定されていることを考えると、子どもファーストな施設であることを感じられます。 これまでもさまざまな作家の水彩画にうっとりする時間は何度もあったけど、ちひろさんの水彩画もまた素晴らしいです。水彩の透明感と画面の余白が響き合うような表現がとても好き。 「ちひろは、水彩の特性を活かして絵を描いています。色が濁らないように、水分をたっぷり含んだ紙の上で色を重ねたり、透明水彩絵の具でにじみやぼかしを多用したりしています」 水で色調をコントロールしていくなんて、なんだか水墨画みたいです。肘や膝などの細部は、ちょっと違う肌質が表現されていますね?「ここは、水分を後から吸い取ることでこのような表現になっているんです」原島さんは続けます。「1960年代以降に描かれたちひろの水彩作品を見てみると、輪郭線が描かれていないものが多くあります。それは下書きをせず、一発勝負で仕上げているということです。そのような描写が可能になるのは、高いデッサン力と、にじみをコントロールする技術があってこそです。少ない色数と、滲みの技法で人体の量感や立体感を表現しています」 さらに一歩踏み込んだ、ちひろさんの描写の素晴らしさを原島さんに教えてもらいました。 「ちひろの絵の特徴は、背景に何も描かれていないところです。この余白は、一つには光を表現していて、真夏の強い日差しなどを余白によって感じさせます。一方で、秋冬の作品だと滲みのエッジが柔らかくなり、やわらかい光を表現しているんです。観る人の想像を誘い、観る人がそれぞれのイメージを重ねることで完成する絵と言えるのかもしれません」 絵の完成が見る人に委ねられている素晴らしい芸術が、絵本として手軽に手にとれてしまうなんて、とても贅沢ですね。 「絵本は、人が初めて出あう美術であり、文学だと言われています」 今回の取材で大好きになった絵本作品は、『あめのひのおるすばん』(至光社、1968年)です。 今でも読み継がれている個性的な絵本が数多く出版された1960年代に、至光社の編集者だった武市八十雄さんによって、ちひろさんの能力が引き出された作品だと原島さんはいいます。「器用ゆえに小さくまとまってしまわないよう、自分の殻を打ち破るために取り組んだ、ちひろにとっての実験的な場でもありました。本書は、お母さんが外に出かけ、1人でお留守番をしているわずかな時間の心の揺れ動きを描きだした作品です」 私のお気に入りの「こどもの おさかな おかあさんの おさかな いまの でんわ おかあさんから」のページ。ぼんやりとしたエメラルドグリーンの色調の広がりが見えるだけ。深い緑色が、お母さんを待ちわびる子どもの心情に呼応するよう。こんなにも詩的な子ども世界です。素晴らしいです。 感激している私たち大人の世界から子どもの世界へ視点をずらすと、またまたこの展示室にも面白い仕掛けが。穴から作品を覗いてみたり、作品の子どもと同じように曇った窓を拭いてみたりするデジタルな遊びまで。 次は、育児書のカットについて。 ここでは、月齢ごとに子どもを描き分けます。1950年代からたくさんの育児書のカットを描いてきたちひろさんは、子どもであればどんな動きでも、どんな月齢でも描けると言われていたそうです。また、ちひろさんといえば水彩の作品が印象的ですが、こちらはモノクロで、輪郭線をきっちりとりながら描かれています。モノクロなのに、まるで色彩が見えてくるようなカットの数々。 ちひろは、戦争をテーマにした絵本を三冊描いています。ベトナム戦争に心を痛め、戦禍にいる子どもたちに心を寄せてを墨と鉛筆で描写しています。晩年、体調を崩し、入退院を繰り返しながら、最後に仕上げた絵本が『戦火のなかの子どもたち』です。「この絵本の中にいる子どもたちとは目が合いません。心を傷つけられた子どもたちを描いているのです」と原島さん。 最後は、色相環のようにちひろの作品を並べた展示。色という視点から作品を見ていくと、赤、緑、オレンジに染まった画面とシルエットの人物描写が印象的です。子どもたちに、どんな季節かを尋ねてみると、答えはそれぞれなんだとか。 この部屋には、音と色彩の楽しい仕掛けがあります。自分だけの色、音でぜひ遊んでみてくださいね。 さらに2階の図書室では、国内外さまざまな作家さんの絵本やちひろさんに関する本などを見ることができます。訪れた人が記した感想ノートの棚が設置されているコーナーも。親子二代、三代にわたって来館される方もいるとのことで、私の母世代の感想ノートも発見。ノートは綺麗に製本され、誰でも自由にみることができるようになっています。「これは私たちの宝物なんです」とおっしゃる原島さんのような方々によって、ちひろ美術館は人の、物の記憶を繋げてきたんだと感じました。 長野の安曇野にもちひろ美術館があり、ちひろ作品をはじめ、世界中の絵本や原画を見られるようです。こちらにも行ってみたい。 独自の世界観と、素晴らしい色彩表現、発見しきれないほど細かく駆使された技法と大切なテーマに魅了されるちひろ美術館・東京。お子さんと一緒に、大人だけでも、お一人でも、楽しんでみてくださいね。 撮影:村上大輔 ■ちひろ美術館・東京 絵本画家・いわさきちひろ(1918-1974)が数々の作品を生み出した自宅兼アトリエの跡地に、ちひろの死から3年後となる1977年9月に開館。2002年9月に公開スペースを大幅に増やし、全館バリアフリーにするなどリニューアルして現在の形となる。館長は黒柳徹子。いわさきちひろをはじめとする日本の絵本画家のほか、世界35の国と地域、228名のアーティストの作品約28000点を収蔵。これらの作品を親子で楽しめる企画展やイベントなどが年間を通して行われている。 ■展覧会情報 『いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ あ・そ・ぼ』 会期:2024年6月22日(土)~ 10月6日(日) いわさきちひろの没後50年を記念した展覧会。東京と安曇野のちひろ美術館で、「あれ これ いのち」「あ・そ・ぼ」「みんな なかまよ」という3つの企画が約1年にわたって開催されている。現在、東京のちひろ美術館で開催中の「あ・そ・ぼ」では、展示室にアートユニットplaplaxによる「絵を見るための遊具」や、ちひろ作品のシーンを追体験できるようなインタラクティブな作品が登場し、遊ぶようにちひろ作品を体験することができる。さらに発達心理学の観点も加え、ちひろがどのように子どもたちの心情を表現したのかを読み解いていく。 ■プロフィール 和田彩花(わだあやか) 1994年8月1日生まれ、群馬県出身。 アイドル:2019年ハロー!プロジェクト、アンジュルムを卒業。アイドルグループでの活動経験を通して、フェミニズム、ジェンダーの視点からアイドルについて、アイドルの労働問題について発信する。 音楽:オルタナポップバンド「和田彩花とオムニバス」、ダブ・アンビエンスのアブストラクトバンド「L O L O E T」にて作詞、歌、朗読等を担当する。 美術:実践女子大学大学院博士前期課程美術史学修了、美術館や展覧会について執筆、メディア出演する。