こっちのけんと、辿り着いた“2度目”の『紅白歌合戦』 赤裸々に振り返る音楽人生と激動の2024年
涙の『紅白歌合戦』出場 「やっと菅生家の一員になれた」
■涙の『紅白歌合戦』出場 「やっと菅生家の一員になれた」 ーーそして今年の12月31日放送の『第75回NHK紅白歌合戦』(NHK総合)に出場が決まりました。出演が決まったときはどんな気持ちでしたか? こっちのけんと:とにかくうれしかったんですけど、聞いたその瞬間は実感がなくて。“次回予告を見ている感じ”というか。「次にそういうことが起こるんだ」みたいな感じで、喜びきれなかったというのが正直な気持ちでした。 ーーどこかのタイミングで実感は湧きました? それともまだ湧いていない? こっちのけんと:家に帰ってから湧きました。ちょうどそのとき妻が旅行に行っていて家にひとりだったので、会見の見逃し配信を見て「そうか、出られるんだ」と実感して、そこでどちゃくそに泣きました。僕は泣き慣れているからか、泣くと遊びたくなっちゃうんですよ。だから、その涙で水たまりを作って「人間は『紅白』出場が決まるとこれくらい泣けるんだ」というのを測ってみようと思って、「頑張ってきてよかったな」と考えながら泣き続けました。その結果、小さめのフライパンくらいの水たまりができました(笑)。 ーーたしかに、それは『紅白歌合戦』の出場が決まった人にしかできない遊びですもんね(笑)。 こっちのけんと:それくらいうれしかったと同時に、奇想天外な経験すぎて、ちょっと精神状態が変だったんだと思います。 ーー『紅白歌合戦』への出場というのは、アーティスト活動を始めた頃から目指していたものだったのでしょうか? こっちのけんと:いや、「目指すも何も……」みたいな感覚でしたね。「将来的に出られたらうれしいね」とは言うけど、小学生が作文を書いている感じというか。でも、マネージャーはずっと本気で狙っていたんですよ。だから僕も念頭にはあって。明確に目指すようになったのは、2023年の『紅白』をテレビで観たとき。それこそ、誰とも連絡が取れなかった時期なんですけど、その状態で『紅白』を観てめっちゃ悔しくなって。もしかして2023年、「死ぬな!」を出したあとにもっと頑張って活動していれば、『紅白』には届かずとも、いいところまではいけたんじゃないかと思ったらすごく悔しくなった。そこから「来年は頑張ろう」と思って活動したのが今年でした。 ーーこっちのけんとさんは、実は2019年にRADWIMPSのバックコーラスとして『紅白歌合戦』のステージに立っているんですよね。そのときも「いつか自分は」と思っていたんですか? こっちのけんと:まったく思っていなかったですね。今後アーティストとして活動していくことも考えていなかったので、「またコーラスで呼ばれたらうれしいな」くらいで。 ーー2019年はお兄さんの菅田将暉さんが『紅白歌合戦』に初出場を飾った年でもありましたが、それについてはどう思っていましたか? こっちのけんと:兄弟で同じものに関われる、兄と同じ空間にいるということがすごくうれしかったんですけど……後々考えると邪魔だったかなとも思いました。初めての『紅白』に弟もいるなんて。兄はどう思っていたんだろうと、ちょっとした申し訳なさもありました。 ーーお兄さんは、今回のこっちのけんとさんの『紅白』出演を喜んでくれていますか? こっちのけんと:兄も弟も、家族全員がめっちゃ喜んでくれています。僕は記者会見の日の朝に出場を知ったんですが、家族には「会見がある」ということも秘密にしていました。本当は言いたかったんですけど、うちのお父さんは口が軽いし(笑)。そしたら、記者会見中に全員から「おめでとう」という連絡が入っていました。うれしかったですね。 ーーご家族も会見で知ったんですね。 こっちのけんと:僕も昔から兄の『日本アカデミー賞』受賞とかの大きな情報は、当日のニュースで知ることが多かったんです。それがいつもうれしかったんですよ、「うわ、俺も知らなかった! おめでとう!」って。だから、今回はそれがいいかなと思いました。「家族に恩返しがしたい」という気持ちがずっとあったので、『紅白』出場で、やっと菅生家の一員になれた気がしてうれしかったですね。 ーー「やっと菅生家の一員になれた気がする」というのは? こっちのけんと:今までの人生を辿ると、僕は高校受験も大学受験も第一志望に落ちて。サークルでは全国大会で優勝したけど、家族にはたぶんそんなに理解されていなかったと思うし。社会人になって社内でMVPを獲ったこともありましたけど、(その賞がどういうものなのかを)うまく家族に説明できませんでした。そこからうつ病になって、会社を辞めて……。ずっと「家族が驚くようなことが自分にはできていない」という感覚があったんです。兄も弟もできているのに。だから、この『紅白』出場でようやく菅生家の次男として、ひとつ旗を揚げられたと思えました。 ーーそんな『紅白歌合戦』には、どんな気持ちで挑みますか? こっちのけんと:まだあんまりわかっていないんですけど……準備しつつも、そこまで準備しすぎないほうがいいんだろうなとは思っています。それは、どうして出られたのかを考えると、そのときそのときにやるべきことをやって、その場の空気を読んで、今までいろんな動きをしてきたからだと思うんです。だから当日もその精神状態でいたいな、と。もちろん準備はしますけど、精神状態だけは、今まで通りでいたいなと思います。 ■「他人と比較することはいいこと」自分の立ち位置を見つける脳内マーケティング ーー『紅白歌合戦』出場というひとつの目標が叶った今、次に目指しているものはありますか? こっちのけんと:「これに出たい」とか、そういうものはあまりなくて。それよりも、アーティストとして曲をたくさん作りたい。ここまで猛ダッシュしすぎて、意外と曲数が少ないので。その曲数の少なさも自信がない理由になっている気がしているんですよ。「こっちのけんと」というお店をやっていて、人気商品が出たにもかかわらず、ほかの商品がなさすぎて、すぐ売れ切れになっちゃっている感覚で、申し訳なさがありました。だから、これからは曲をいっぱい作りたいなと思っています。今僕は28歳なんですけど、自分が30代の後半になったときに自分のなかにクリエイティビティが残っているかが心配でもあるので、そういう意味でも、今は曲をたくさん作っておきたい。そのためにインプットの時間も大切にしながら、曲をたくさん作りたいなと思っています。 ーー今、インプットという言葉が出ましたが、今日お話を伺っていてもゲームなどの喩えも出てきましたので、最後に、こっちのけんとさんの好きなカルチャーについて教えてください。 こっちのけんと:漫画とアニメとゲームですかね。ただ、それ自体も好きですけど、「なんで今この時代にこの漫画が出ているんだ」とか「なんで今ゲーム業界でリメイク、リマスター版が多いんだろう」とか、そういうことを考えることも好きで。マーケティング論のようなものですね。 ーーその考え方は、ご自身のアーティスト活動にも活かされていますか? それともそれとは関係なく、自分の作りたいものを作っている? こっちのけんと:(影響は)ちょっとあるかも。作りたいものを作ってはいるんですけど、その作りたいものが「みんなはこういうものを作っているから、自分はそれじゃないものを作ろう」みたいな考えというか。音楽活動を始めたときも、高音が歌える男性がカッコいいという考え方があるなかで、僕は高い声が出ないので、低い声を活かしてカッコいいものを作りたいと思ったし。自然とそういう脳内マーケティングをしているのかなとは思います。 ーーアカペラサークルのときにご自身の強みを見つけたときもその考え方でしたもんね。 こっちのけんと:そうです。僕は、他人と比較することはいいことだと思っていて。だから兄と自分を比較するし。客観的に自分を見るという意味では、比較するのはすごく大事なこと。「カイセンが好き」と一緒なんですよ。 ーー「カイセンが好き」? こっちのけんと:ああ、すみません(笑)。「自分は肉より海鮮が好きだけど、あの人は肉の方が好き」とか、それくらいのことに思っていて。 ーーあ、その“海鮮”ですね。 こっちのけんと:あ、でも、僕の家族って全員機械に疎くて。僕だけパソコンが好きだったので、家のテレビ周りの“回線”も僕が全部やっていたんですよ。 ーーそっちの回線も! こっちのけんと:はい、“こっちの回線”です(笑)。僕はこれからも自分なりのやり方で、曲をたくさん作っていけたらと思っています。
小林千絵