【プレイバック’94】「助けてェ~ッ」女子高生が殺到!五輪連覇の「日の丸複合隊」帰国で大パニック
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の’94年3月25日号掲載の「成田空港にギャル殺到 日の丸複合隊凱旋パニック 荻原健司が『たすけてェ~ッ』」をお届けする。 【画像】すごい……22歳の荻原健司・次晴兄弟「超貴重な仲良しショット」秘蔵写真 この年、2月に行われたノルウェー・リレハンメルでの冬季五輪。日本選手団で唯一、金メダルを獲ったのはノルディックスキー複合団体だった。この当時、冬季五輪で日本が金メダルを獲得したのは史上3個目。しかも、2個目となった’92年のアルベールビル(フランス)五輪に続く2連覇ということもあって、彼らが凱旋した成田空港は異様な熱気に包まれていた。当時の記事もかなりコーフン気味だ。 ◆本人たちも呆然とするほどのフィーバーぶり 《「キャーッ!」「オギワラクーン!」 黄色い声の中で沈没しそうになって口を開けているのは、「光GENJI」でも「SMAP」でもなくあの「金メダリスト」荻原健司(当時24)であります。 リレハンメル五輪で団体2連覇を果たした河野孝典(当時25)、阿部雅司(当時28)、それに荻原の「日の丸複合隊」は、五輪後はフィンランドでのW杯に直行し、ようやく3月7日に凱旋帰国。しかしさすがの荻原も到着ゲートでのパニック状態にはア然。 「はーい、危ないから、危ないからッ!」と叫ぶ警備員も、出迎えた名物パパ、荻原利彦さんまで突きとばし(オイオイ)女子高生はひたすら3人、わけても荻原へと殺到! 花束とプレゼントが手の中に押し込まれ、使い捨てカメラのフラッシュが光りまくり、河野はもう放心状態。「河野サン、お誕生日おめでとうございま~す」と、どこからともなくかかった女性の声に「ありがとォ~」と気の抜けた声でお返事してます。おーい、大丈夫かっ。》 直後の会見で荻原は「いや~、すごかったっスね。メダルがどっかにすっとんでっちゃうんじゃないかと思いましたよ」とあまりのフィーバーぶりに呆然としていた。それもそのはずで、前回の五輪後のW杯でメダルを独占したときには、出迎えの報道陣から「3人並んで端から名前を言ってください」と言われたというエピソードもあったほど、少し前までノルディック複合はマイナーな競技だったからだ。 荻原らは会見後も混乱を避けるためにしばらく会見室に籠ったあと、空港内の職員通路から国内線に乗り換え、次の試合の地である札幌へと向かったのだった。当人たちも関係者も、報道陣すら予期していなかった〝スター誕生〟の瞬間だった。 このとき空港につめかけた女子中高生たちの数は500名とも報じられた。3人の中でも一番注目されたのは、やはり荻原だった。’92年のアルベールビルで日本では一番早くV字ジャンプを取り入れてスキー複合団体優勝の立役者ともなった彼は、物怖じしない自由奔放さから「新人類」と呼ばれた。その後も活躍を続けた荻原は世界選手権では2度の金メダル、W杯でも世界初の個人総合3連覇を達成し、スキー複合の王者の通称でもある「キング・オブ・スキー」がそのままあだ名になるほどの存在だった。 荻原の引退後、日本のスキー複合はW杯では渡部暁斗が活躍しているものの、団体ではこのリレハンメルを最後に長らくメダルから遠ざかっていた。だが’22年の北京五輪では銅メダルを獲得し、復活への希望も見えてきた。再び、この当時のような「黄金期」が到来することを、期待せずにはいられない。
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