浅丘ルリ子のトークイベント開催 「本当にいい時代」60年代の日活映画全盛期を振り返る
女優・浅丘ルリ子がトップスターとして活躍した1960年代の日活映画の作品の中から「銀座の恋の物語」「憎いあンちくしょう」「夜明けのうた」「愛の渇き」の4本を上映し、浅丘本人がトークで出演するイベント「~浅丘ルリ子 トーク&シネマ~『1960年代 日活映画☆浅丘ルリ子』」が5月13、14日に東京・有楽町I’M A SHOWで開催される。イベントで上映される4本は、いずれも蔵原惟繕(これよし)監督と浅丘が60年代の日活映画黄金時代にコンビを組んだ作品だ。浅丘が当時の思い出をインタビューで振り返る。 【画像】「銀座の恋の物語」「憎いあンちくしょう」「夜明けのうた」「愛の渇き」 ■作り込んだ演技を求めない蔵原監督 日活アクション映画で石原裕次郎や小林旭のヒロインとして活躍していた浅丘にとって、蔵原監督との出会いはその後の女優人生の流れを大きく変えた。 「蔵原さんとは『銀座の恋の物語』が最初の作品です。蔵原さんはフランスやイタリアの映画をいっぱいご覧になっていて、私も小さい頃から洋画が大好きで、特に女優さんの映画を見ていました。だから蔵原さんの要求する女優がどんなものかなんとなく分かっていました。向こうの女優さんは大げさな演技をしないんです。無表情で、ふっと目を動かすだけでその感情を出すみたいな。蔵原さんは私に芝居をつけるときも、洋画のシーンのたとえを言って、作り込んだ演技を求めません。だから私は芝居らしい芝居をしたことは一度もないの。蔵原さんとは本当に心が通じたというか、だからこんなに素敵な4本を作っていただけたんだと思います」 ■典子という新しい女性像 裕次郎と共演した日本で初めてのロードムービー「憎いあンちくしょう」は鮮烈だった。背が高く、足が長く、ヨットで鍛えられた厚い胸板で颯爽と街を歩く裕次郎の登場は、戦後日本の中でまぶしく輝いていた。そして、この映画で典子を演じた浅丘の自由で底抜けに明るい小悪魔的な女性も、フランスやイタリアの銀幕の中にしかいなかった。ジャガーのオープンカーを乗り回し、男物のズボンとワイシャツを無造作に着て、ドアを足で閉め、ハイヒールのかかとでドアをノックする、そんな典子の新しい女性像は新鮮で魅力的だった。 「でもそのとき私、運転免許証をもってなかったの(笑)。急いで教習所に通って免許をとったけれど、ジャガーのスポーツカーでしょ、アクセルとブレーキもよく分からなくて、ガソリンスタンドで車を思いっきりぶつけたり、カメラマンさんの顔に大きなあざをつくったり。もう運転がいやでいやで。でも撮影が終わると調布の撮影所から銀座までみんなで飲みに行ったり、撮影所の近くにあった私の実家なんてたまり場みたいになって、食事を作って歓迎してくれた両親には感謝しています。でもいつも撮影所に朝遅れてくるのが小林旭と裕次郎。2、3日は我慢しました。だけど4、5日たったら私も堪忍袋の緒が切れて『いいかげんにしてよ!ちゃんと来て』って、そんなことも何回かありましたけど、本当にいい時代でした。