「親らしいことできなかったから」 地域の運動場よみがえらせた男性…息子を思い、続ける手入れ 長崎
長崎市の西町自治会で副会長を務める田中文義さん(74)は毎朝、子どもたちの登校を見守った後、近くの白鳥運動場の除草や草花への水やりが日課だ。この時期は紅葉し、見頃になったコキアの手入れに忙しい。突き動かすのは32歳で他界した長男への思いだ。 母子家庭で育った。中学時代、就職か高校進学で迷っていたが、女手一つで家族を養っていた母に「高校に行きたい」とは言えず、「卒業したら働く」と伝えた。母は反対も賛成もせず、黙ってうなずいた。「正直、そんな余裕はなかったから」と振り返る。 卒業後は以西底引き網漁業の船員になったが、けがを負ったこともあり、20代前半で漁船を降りた。その後、タンカーに乗り、30代半ばで船長に。独学で学び1等航海士の資格を取っていたのが役に立った。タンカーに乗り始めた頃、6歳年下の光枝さんと結婚。子どもも授かった。ただ、海に出ると数カ月から1年は帰れない生活。「家庭のことは妻に任せきりだった」が、子どもたちは立派に育ってくれた。 2009年、59歳で定年。日課は犬の散歩くらい。「趣味もなく、引きこもってしまうかも」と思っていた。そんなとき、自治会役員から「散歩のついでに子どもを見守ってほしい」と頼まれ、交通指導員になった。学校がある日は、午前7時から8時半過ぎまで市立西町小前の交差点に立ち、登校を見守るようになった。 翌年の夏、東京に住む長男弘文さんから「話がある。こっちに来てほしい」と電話があった。光枝さんと向かうと、大学病院に入院していた。悪性リンパ腫で「長くない」と知らされたが、「1年近く頑張ってくれた」。葬儀には地域の人たちも参列してくれた。 数カ月後、白鳥運動場の整備を自治会役員に相談された。住民が散歩する部分以外は雑草が生い茂って荒れていた。「自分の子どもには親らしいことはできなかった。地域の子どもたちや住民のためになるなら」と引き受けた。 以来、登校を見守った後は、運動場に行って「きょうは何をしようか」と思いを巡らせるようになった。始めたばかりの頃は、朝も昼も作業をした。除草や害虫に悪戦苦闘し、水をまくだけで何時間もかかった。 自治会関係者から「手当を出す」と言われたが、「もらったら仕事になってしまう。やめたいときにやめられない」と断った。熱中するあまり、光枝さんからは冗談っぽく「私と草むしり、どっちが大切なの」と言われたこともあった。 コツコツ作業を続け、2年がかりで全面が使えるように。運動場には高齢者から子どもまで楽しそうにスポーツをする光景が戻った。「憩いの場になれば」とフェンス沿いには季節の草花を植え、春には菜の花が咲き、秋には丸い形のコキアが赤く色づく。十数年、理解し、支え、相談相手になってくれたのは光枝さん。種まきなど手間のかかる作業は快く手伝ってくれるようになった。 数年前、毎日のように運動場付近を散歩していた老夫婦の姿を突然見なくなった。久しぶりに見かけると、奥さんが「夫が体調を崩して」と明かした。外出は難しかったが、「菜の花が見頃よ」と伝えると、不思議なくらい元気になって歩いて外に出たという。 ランドセルを背負っていた子どもたちが立派になって「おじちゃん、就職した」「子どもが生まれた」と運動場に来てくれることも多い。「大したことをしているわけでもないのに、ありがたい。また頑張ろうという気持ちになる」とほほ笑む。 例年は10月に紅葉していたコキア。今年は猛暑と残暑で多くが枯れ、色づいたのは11月。それでも気持ちは前向きだ。「菜の花を楽しみにしてくれる人がいるからね」。春に向け、もうすぐ光枝さんと種をまく予定だ。