宮本慎也さんの長男、センバツへ 東海大菅生・宮本恭佑投手の誓い
プロ野球史に名前を刻んだ父の引退とともに歩み始めた野球道で、夢への一歩を踏み出す。東海大菅生(東京)の宮本恭佑投手(2年)は元ヤクルトの宮本慎也さんの長男で、22日の初戦の城東(徳島)戦で先発のマウンドを託された。30年あまり前、父がPL学園のユニホームで頂点に立った聖地で、今度は自分が輝いてみせる。 ◇「お前はお前、気にしなくていい」 慎也さんは名門・PL学園で2年生だった1987年夏の甲子園で、決勝で先発出場して安打を放つなど優勝に貢献した。大学、社会人を経て、プロ野球・ヤクルトに入団。高い守備力と巧打を持ち味に、2004年アテネ・オリンピックでは日本代表でプレーした。プロ通算2133安打、408犠打。ゴールデングラブ賞を10度獲得した守備の名手だった。 あの日の光景は今もはっきり覚えている。13年10月4日、7歳だった少年は神宮球場に立った。右打席に入る父の引退試合で、始球式の大役を務めた。「捕手の相川(亮二)さんも、本番前にベンチ前でキャッチボールしてくれた選手もすごく優しかった」。始球式に向けて父とのキャッチボールが始まり、大観衆のグラウンドで野球の魅力を知った。「野球選手」の肩書が、父から子にバトンタッチされた瞬間だった。 父に勧められたわけではなく、希望して地元の少年野球チームに入った。中学に入り、みるみる体が大きくなると、全国レベルで頭角を現した。憧れた父と大きく違うのは「一番目立つし、試合を左右する。緊張感も楽しさもある」という投手の道を選んだことだった。エースとして春、夏に全国大会で準優勝した。 高校時代、厳しい環境に身を置いて成長した父の助言を受け、強豪の東海大菅生に進んだ。身長185センチ、体重82キロの恵まれた体格から最速140キロの力強い直球と緩い変化球を投げ分け、2年生ながらベンチ入りした。上級生に見劣りしない大きな体は「自分は体が小さくて苦労したから」と父親がご飯をたくさん食べるよう、いつも勧めてくれたおかげだと感謝している。 「ジュニア」の肩書がつきまとう重圧を感じたこともあるが、父が「お前はお前だから、気にしなくていい」と言ってくれた。「父のすごさを感じますが、今はあまり気になりません」 父は今、東海大菅生の臨時コーチとして野手の指導をしている。最初は断ったが、「(長男と一線を画す)野手指導であれば」と週に1、2回訪れて独自の打撃理論などを伝える。「最初はちょっと恥ずかしさもありましたが、チームが強くなるために父の力が必要。野手陣も喜んでいる」とうれしそうだ。 目標はもちろんプロ野球選手。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で活躍した山本由伸投手(オリックス)が憧れで「高卒ドラフト1位で進みたい」と語る。プロ野球の厳しさを知る父からは「今のままではプロ入りしても失敗する側の選手だ」と厳しい言葉で激励されたという。 選抜に向けて、さらに力強いボールを目指して下半身強化に取り組んできた。今は背番号「18」の控え投手だが「自分の投球を貫いて、チームに貢献したい」。父が輝きを放った聖地に、今度は自分が立ってみせる。【川村咲平】