あなた自身が「選ばれし者」となって現実の中世世界を旅するためのガイダンス―ケイト・スティーヴンソン『中世ヨーロッパ 「勇者」の日常生活:日々の冒険からドラゴンとの「戦い」まで』
選ばれし「勇者」はあなた! リアルな中世を冒険するのに何が起こって何が必要なのか。宿に泊まり、姫を助け、魔術師を仲間にし、そしてドラゴンを退治するには。「実例」とともに歴史家が案内するユーモアあふれる『中世ヨーロッパ 「勇者」の日常生活』より、著者による解説を公開します。 ◆あなたが訪れる世界 中世の世界の特徴は4つ。それは丸い、大きい、不完全、そして海のモンスターだ。 ひとつ目。そう、世界は丸いことを人々は知っていた。 あとの3つは…… 地理的にも、めちゃくちゃな比喩としても、「中世の世界」は、地中海を泳ぎ、アジア、ヨーロッパ、アフリカに巻きつく、いくつもの頭を持ったウミヘビの怪物ヒュドラだった。 あなた(と、中世の地理学者)の目から見れば、「アジア、アフリカ、ヨーロッパ」とは、東端が南に向かってカーブしているアフリカの北部沿岸地域、アラビア半島とその北側の土地、スカンディナヴィアを北限とするロシア西部、そしてヨーロッパ大陸の西端から地図の隅っこにあるイングランドまでだ。アイスランドはさらに外側にあり、その先には恐ろしい外海だけが広がっていた。そうそう、人食い人種も。 多くの地図では否定されているが、実際、ヒュドラはさらに遠い場所まで細々と手を伸ばしていた。西アフリカの王国、スワヒリの都市国家、インド、そして中国を取り巻く人の往来から生まれた結びつきにもまとわりついていた。カナダ北部、トゥーレの商人はグリーンランドまで旅して、れんがや陶器などの粘土製品を取引し、古代スカンディナヴィアのアイスランド人は南方のカナダ沿岸へと航海して、ひょうたんかぼちゃを持ち帰った。要するに、中世の世界は大きかった。 あなたにとっての中世は、ありえないような方法で世界地図を塗り替えたふたつの大きなできごとと結びついている。ひとつは7世紀半ばで、アラビアで誕生した新しい宗教と初期の信者の闘志が、近東と北アフリカからイベリア半島南部にいたるまで広く征服を押し進めたことだ。もうひとつは、1520年代に、ひょんなことから西ヨーロッパに新しい形のキリスト教が興り、それまで「教会」として知られていた世界最大にして最長の権力が砕け散ったことである。 中世の1000年間には地政学の地図を部分的に書き換える試みが2度あった。成功したとはいえ感心するほどでもないやり方で、イベリア半島北部にある複数のキリスト教王国が、500年近くを費やして半島全体の唯一の支配者になろうと試みていた。各王国はみなその行為を「再征服」だと主張したが事実は異なる。まず、711年までイベリア半島南部を支配していたキリスト教徒は、中世の基準に照らせば異教徒だった。そして、ほとんどの場合、争っていたのはキリスト教王国同士だった。 世界を描き直す試みであまりうまくいかなかったのは……西ヨーロッパのキリスト教王国が寄り集まって企てた近東の細長い土地の征服だった。第1回十字軍遠征(1095~1099年)として知られる征服はおおむね計画通りに運んだ。だが、その後150年ほどかけて、イスラム教徒は西のキリスト教徒を追い出した。第2~9回十字軍は最初の成功を繰り返すことができなかったばかりか、神の望むままにという皮肉な鬨の声で西ヨーロッパ社会を納得させることにも失敗した。十字軍全体が捕虜に取られ、国王の身代金だけでフランスの歳入の3分の1が必要となれば、十字軍が成功したとはいいがたい。その国王が遠征でチュニジアまで軍を進めた結果、ひどい下痢で急逝したとあればなおのことである。 あなたの道しるべとなる中世の物語はつまり、「キリスト教世界」と「イスラム教世界」をそれぞれ内側から作り直そうとする人々の物語でもある。よくいわれるように、中世全体を通して、そうした変化には人口の急増、都市の復興や勃興、技術の発展、西ヨーロッパで大きな権力を手にするようになった教会、信仰や人種に基づく迫害の増加、ほかにも雑学に役立ちそうなちょっとした話が含まれている。そして政治はというと……中世を通して、時代には順序があり、それがオーバーラップしていたりもする。 長文が面倒な人のためのまとめ――「中世の世界」とは、 ◆ とても大きいが、地球全体やそこにいる人全員まではカバーされていない。 ◆ 地中海の北側にあるおもにキリスト教の王国。 ◆ 北アフリカと近東のおもにイスラム教の王国。 ◆ イスラム教徒と西のキリスト教徒の領土のあいだのアナトリア[トルコのアジア部分]には、同じくキリスト教のビザンツ帝国もあるが、ほぼ無視されている。 ◆ だいたい1520年代に終わった。 ◆ イスラム教徒とキリスト教徒が戦ったとき、「神」が実際に「望んだ」のは、フランスの国王が赤痢で死ぬことだけだった。 [書き手]ケイト・スティーヴンソン(著者) インディアナ州ノートルダム大学で中世史の博士号を取得。学問としての歴史と一般市民の歴史のあいだにあるバリアとヒエラルキーを取り払うことに力を入れている。インターネット最大の歴史フォーラムAskHistorians ではsunagainstgoldというアカウント名で管理人を務め、中世の相続法から7世紀のおもちゃのピストルまで幅広いトピックについて執筆している。ミズーリ州セントルイス在住。 [書籍情報]『中世ヨーロッパ 「勇者」の日常生活:日々の冒険からドラゴンとの「戦い」まで』 著者:ケイト・スティーヴンソン / 翻訳:大槻 敦子 / 出版社:原書房 / 発売日:2023年09月19日 / ISBN:456207342X
原書房