【イベントレポート】ロウ・イエが映画作りへの自信を取り戻した「未完成の映画」金馬奨2冠直後のQ&A
第25回東京フィルメックスの特別招待作品「未完成の映画」(原題「一部未完成的電影」)が11月24日に東京・丸の内TOEIで上映され、監督を務めたロウ・イエ、プロデューサー・脚本のマー・インリーが上映後のQ&Aに出席した。 【画像】第61回金馬奨の最優秀作品賞と監督賞に輝いた「未完成の映画」 本作は10年前に未完のまま終わった映画を完成させるために再集結した映画制作チームを描いたドキュフィクション作品。その映画の監督は主演俳優を呼び出し、制作の再始動を提案し、撮影は2020年1月の春節を目前に始まる。ほどなくして新型コロナウイルス感染拡大のニュースが広まり始め、滞在先だったホテルが強制的に封鎖。撮影は中止となり、監督やクルー、主演俳優は各部屋に閉じ込められてしまう。なお劇中の“未完成の映画”は、ロウ・イエの過去作「スプリング・フィーバー」「二重生活」などのフッテージを利用したもので、フィクションと現実の境界がよりあいまいに描写されている。 「未完成の映画」は前日の11月23日に第61回金馬奨の最優秀作品賞と監督賞に輝いたばかり。拍手で迎えられたロウ・イエは、まず「この作品を観に来てくださった観客の皆さんに心から御礼申し上げます。ありがとうございます」と挨拶した。 本作では架空の映画人や本名で出演する実在のスタッフを交えた映画の制作過程と、ロックダウン下における人々の孤独をドキュメンタリー的に捉えながら、厳しい行動制限や都市封鎖によって感染拡大を抑え込む「ゼロコロナ政策」が敷かれた当時の中国の過酷な現実をも記録。その制作を、ロウ・イエは「コロナの時期、我々スタッフがみんな感じていた気持ちを映画の中に盛り込みました。そのときは『映画を撮っても意味がないのではないか?』と感じていたわけです。映画を撮ること自体があまり重要ではないと思えていた」と振り返る。 コロナ対策の影響で避難が遅れたとも言われる、10人が死亡した新疆ウイグル自治区ウルムチでの火災も取り上げるなど、実際にソーシャルメディアで拡散された縦型の映像もふんだんに盛り込んだ。また縦画面での自撮り映像も多く、その演出の意図について「世の中では心を痛める残酷なことが起きていた。そういう中で、大きなスクリーンで観る映画に変わるものはなんだろうか?と考えました。スマホは誰でも1台ずつ持っている。映画はだんだんと消え、映像は個人のものになっていくのではないか?と考えたのです」と明かす。 さらに「人と人との直接の行き来が途絶え、人々は自分が手にしているスマホのスクリーンで会話をしていた。我々、映画を撮る人間は映画に変わるものを作る必要があった。だから映画言語を変えなければいけないと思いました。なぜ映画を撮るのか?を考え直したのです」と述懐。続けて「そう思いながらも、映画を撮り、完成作品をみんなで観ると、喜びが湧き上がってくる。映画には自分が思いもしなかったものまでも映り込む。(前述の)“アンチ映画”も盛り込まれている気がする。そういう効能自体がそもそも映画に備わっているのではないかと思います。だから映画を撮ることへの自信を取り戻したのです。プロセス自体がとても得難い経験でした。あらゆるスタッフの熱意がこもっていて、みんなで撮ったと言えるもの。一緒に作ってくれたスタッフに心からの敬意を評したい」と語った。 中国人の観客からは「中国人にとって切実なものが映っている。3年間の悪い記憶。観た人は涙を我慢できないと思う」という感想も。そのうえで「コロナの感染によって多くの人が亡くなった。今も多くの人が抱えているこの記憶を、監督は1人の人間としてどう表現しようと考えたか?」と質問が続く。ロウ・イエはこの問いに「この映画の始まりではスタッフに『マクロ的な視点では撮れない』と話していました。1人ひとりの気持ち、部屋の中に閉じ込められたときの感覚、そういう極めて個人的な感覚の映画になるだろうと言いました。カメラを誰でも手軽に使える今、私は都市全体が映画化されるような感覚を持っています。誰でも1人ひとりが映像を、映画を撮ることができる時代ですから」と答えた。 第25回東京フィルメックスは12月1日まで丸の内TOEI、ヒューマントラストシネマ有楽町にて開催。「未完成の映画」は11月29日にも上映される。劇場公開は未定のため続報を待とう。