まだまだ、絶対にやれる。もっともっとプレーを見てみたい。そんな青山敏弘がこれからどんな歴史を広島で紡ぐのか。楽しみに待ちたい【番記者コラム】
チームから離れる気持ちはまったくなかった
青山の人生で特筆すべきは、作陽高2年時に起きた「幻のゴール事件」(全国高校サッカー選手権岡山県大会決勝で起きた誤審)や大怪我に代表されるような、様々な挫折と常に正面から向き合って乗り越えてきたという事実。そしてもうひとつは、最初から最後まで広島に在籍し続けたという「ワンクラブマン」であったことだ。 日本を代表するワンクラブマンと言えば中村憲剛(川崎)や山田暢久(浦和)を挙げられるが、青山は彼らを超える21年間という長い年月を、広島とともに過ごした。その間、07年にJ2降格も経験しているし、14年にはワールドカップに出場して世界との距離も実感した。移籍のタイミングはあったはずだが、彼は「広島を離れることなど、考えたこともない」と言い切っている。 「もしかしたら、皆さんが思っているよりも(広島が)大好きなのかもしれません。広島というクラブは常に尊敬できる存在でしたから」 引退会見で彼はこう言って笑った。そして、こんな言葉も。 「優勝する度に、強くなる度に、チームメイトが(移籍して)いなくなっていく。その度に、広島への想いが強くなる。ここで優勝したい。もっと強くなりたい。ファン・サポーターと一緒に喜び合いたい。それがプロサッカー選手として、自分の使命だと思っていました。試合に出なくなったとしても、このチームから離れるという気持ちは、まったくなかったです」 引退後、青山敏弘は指導者への道を歩む。来季からトップチームのコーチとして働くことを、スキッベ監督が12月1日の札幌戦後のセレモニーで明言した。 「ゲームのなかで試合を読む力は、彼には卓越したものがあります。人間性も良い。どういう選手が出てくるか見て、その選手をしっかりと評価して、モチベーションを上げたり。そういった仕事は彼には最適だと思いますね」 記者会見では「将来は監督を目ざす」と青山は言い切り、恩師と言える森保一日本代表監督からも「ぜひサンフレッチェ広島の監督になってほしい」とメッセージを受けた。 「僕はずっと、夢を追いかけてきた。その続きを指導者としても追いかけていくならば、やっぱり上を目ざしたい。それは、能力どうこうではなく、生き方の問題なんですね。コーチとして勝負するからには、いずれは監督になりたい。監督として勝ちたい。監督になって、優勝したい。ただ、それだけです」 その夢の1ページ目として、青山はスキッベ監督の下で働くことを熱望し、またスキッベ監督もそれを求めた。名将の下で指導者人生をスタートする広島の伝説的存在が、次はどんな歴史を広島で紡ぐのか。楽しみに待ちたい。 取材・文●中野和也(紫熊倶楽部)