<追悼>「行動する学者」五百旗頭真氏の軌跡
楠田実が取り持った福田・五百旗頭の相互信頼
政治家との関係で特筆すべきは、福田康夫元首相との親交だ。福田は首相時代に不祥事続きだった防衛省改革案の実質的な取りまとめを五百旗頭に託し、外交政策勉強会の座長にも就いてもらっている。 2人をつないだのは、佐藤栄作政権で首相の筆頭秘書官を務めた楠田実(2003年9月死去)だ。楠田は佐藤の周りに多様な学者を集めて非公式の勉強会を持った。梅棹忠夫や高坂正堯、山崎正和、江藤淳、京極純一らが出入りしていた勉強会は、後の福田赳夫政権でも形を変えて続き、やがて五百旗頭にも声がかかるようになる。こうして息子の康夫と五百旗頭には自然と接点が生まれた。 特に小泉政権で官房長官の福田が田中真紀子外相による暴走を防ぐため外交実務を担うようになると、楠田は福田を囲む学者の会を設け、五百旗頭を主要メンバーに選んだ。以降、2人は相互に信頼を深めていく。 五百旗頭が2019年に日経新聞に連載した「私の履歴書」での福田評がそれをよく表している。「人格識見に優れ、とりわけ外交には知識と情熱を持ち合わせた福田首相であったが、ねじれ国会下の内政に苦しみ、1年で降板したのは誠にもったいないことであった」 福田は国会議員を退いてからも、揺れ動く日中関係のキーマンであり続けた。中国外交トップの王毅政治局委員は福田が訪中すると必ず接触し、習近平国家主席も幾度となく福田と会っている。五百旗頭は福田が「南京大虐殺記念館」を訪れた18年6月と、「評伝 福田赳夫」(21年出版、監修・五百旗頭)の中国語版出版記念会で北京に招かれた23年10月に、それぞれ同行して福田を支えた。 福田も五百旗頭が上京するたびに個人事務所に招いた。福田は「彼の話すことは現実的で、基本的に信用できると思ってきた」と振り返る。 ただ、安定的な日中を希求してきた五百旗頭も、習近平が登場して以降の中国には幻滅を覚えていた。昨年11月発行の雑誌「アステイオン」の連載論文で、現代中国の「対外政策における独善性」と、個人を徹底して抑圧する「党権力の絶対化」を、中国伝統のプラグマティズムとも相いれないと難じた。 米国が抜き差しならない国内対立で不安定化し、中国がロシアや北朝鮮を従えて国際秩序を更新しようとする時代に入っている。歴史への深い洞察に基づく五百旗頭流の見取り図が、日本には今後も必要だった。 政治は常に入り組んだ現実との格闘だが、岸田文雄首相の周りには五百旗頭のような「知のダム」が見当たらない。それが岸田政治、岸田外交なるものを場当たり的にさせている理由の一つだろう。
【Profile】
古賀 攻 公益財団法人ニッポンドットコム顧問。1958年佐賀県生まれ。明治大学政経学部卒業後、83年に毎日新聞入社。政治部長、編集編成局次長、論説委員長を歴任。2024年より現職。