<追悼>「行動する学者」五百旗頭真氏の軌跡
小渕政権「21世紀」懇から小泉、安倍政権まで
中央政界でその存在が広く知られるようになったのは、世紀末の1999年3月、当時の小渕恵三首相が16人(後に49人に拡大)の有識者を選んで「21世紀日本の構想」という大がかりな懇談会を設けたころからだろう。四半世紀が過ぎた今でも各界で活躍する人物をそろえたこの知的集合体で、五百旗頭は第1分科会「世界に生きる日本」の座長を務めた。 ちなみに、この時の縁で五百旗頭は、小渕が書き残した日記の扱いについて、小渕の娘である小渕優子・自民党選対委員長から相談を受けている。 小泉純一郎政権時代の2003年5月には、小泉の靖国神社参拝で冷え込んだ日中関係を立て直す両政府の諮問機関として「新日中友好21世紀委員会」が設立され、五百旗頭は日本側委員8人の1人になった。 小泉の靖国参拝には一貫して批判的だった。小泉政権が踏み切った自衛隊のイラク派遣にも異を唱えてきた。それでも小泉は政権末期の06年に第8代防衛大学校長への就任を要請し、実現させた。 五百旗頭は受諾した直後の会合で、「さんざん批判した私を学校長に招くなんて、小泉総理は変態かと思った」とユーモラスに話している。その小泉は先の文化功労賞祝賀会に駆けつけて「私は総理に就任する前から先生の著書を読んで感銘を受けていた。先生は表面は穏やかだが、侠気(おとこぎ)のある方、熱血漢だ」と語った。 歴代首相で最右派に属する安倍晋三首相とも接点があった。15年8月に出す予定の戦後70年首相談話で、村山富市首相談話(1995年)の対アジア宥和史観を封じ込めたかった安倍は、前年から複数回、五百旗頭を含む学者グループをひそかに公邸に招いて意見を求めた。 五百旗頭は、(1)戦後日本の平和的発展、経済重視路線を否定したら国際社会への挑戦になる(2)先の大戦に向かう時代を美化したら国際的なリーダーと認められなくなる(3)日本がアジアのリーダーと認められることが日米同盟の価値を上げる--と三段論法で国粋主義に傾きがちな発想をいさめたという。極東の島国・日本が生きる道は「日米同盟プラス日中協商」という信念が背景にある。 独りよがりの偏狭な歴史認識には厳しかった。麻生太郎政権時代の2008年10月、航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が根拠のない陰謀史観の論文を発表した時には、毎日新聞のコラム「時代の風」で田母神を「今なお誤りを誤りと認めることができずに精神の変調を引きずる人」と容赦なく批判した。 田母神論文は「わが国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」「日米戦争はルーズベルトによる策略だった」などと非常識な記述に満ちていたから、当然ではある。ただし、五百旗頭は当時、現職の防大校長であったため、田母神を支持するグループが防衛省前で声高に五百旗頭の「罷免」を求めたり、西宮市の五百旗頭宅を襲撃したりした。後の安倍政権で増長する極右の走りだった。