「愛妻と愛犬、宝物に見守られ…」 小倉智昭さんの最期と、5万点のコレクションの行方は
すべてを注ぎ込んだ
「保管場所の移転を決めたもう一つの理由が“節約”でした。もともと小倉さんは焼き肉店やラーメン店のほか、通販会社を経営していましたが、番組終了後はそれら事業に専念する形に。しかし転移やコロナ禍が重なり、想定外の出費を迫られたのです」(前出のゴルフ仲間) 今年2月に出した社会学者・古市憲寿氏との共著『本音』(新潮新書)の中で、小倉さんは当時をこう振り返っている。 〈(会社の)運転資金も大変だったし、今まで一生懸命稼いだものをみんな注ぎ込んでいた部分があって〉 ゴルフ仲間が補足する。 「運転資金や小倉ベースの家賃などで月800万円ほどが持ち出しになっていたそうです。“全盛期の年収は6億円”だったものの“最後は約3分の1にダウンした”とも話していました」
「愛妻と愛犬、コレクションに見守られ……」
そんな状況を見かねた妻のさゆりさんが〈中野のビルを借り続けるのはやっぱりやめよう〉と小倉さんに助言したと、前出『本音』で明かされている。 「自宅の一部をコレクションスペースに活用することを提案したのもさゆりさんでした。代わりに高齢の実母の介護も兼ねて彼女は実家へと移り、週に3回、小倉さんの暮らす自宅へ通う生活が始まりました」(前出のゴルフ仲間) 自分が行けない日に備えて食事を作り置きするなど、別居後も夫を支え続けたというさゆりさん。 「かわいがっていた愛犬は闘病中の小倉さんが世話をするのは難しく、彼女が引き取ったそうです。さゆりさんが来ない日は独りきりになるため、すこし寂し気ではありましたが、最期は愛妻と愛犬、コレクションに見守られて亡くなり、幸せだったと思います」(同) 都内にある自宅を訪れ、さゆりさんにコレクションの行方について尋ねると、 「これから決めていきます」 と答えた。膨大な収集品には小倉さんの人生が詰まっているが、どこに行き着こうと、思い出が消えることはない。
「週刊新潮」2024年12月26日号 掲載
新潮社