「20歳を過ぎた途端、仕事が激減」引退を考えたタレント・浜口順子が「知り合いもコネもない」三重への移住した今
初めてのミュージカルでは、観にきてくれた人に笑顔を届けようと全力で取り組みました。この作品があったからこそ、芸能界を継続できたと感じています。
■事務所退所と三重県への移住 ── 芸能界継続を決意されて以降も、バラエティ番組やラジオ番組への出演と順調に感じられました。事務所退所の経緯を教えてください。 浜口さん:デビュー以降、東京を起点に芸能活動を続けてきましたが、20年目を迎えたとき「このままでいいのかな」と考えるようになったんです。私がタレントとして20年目を迎えられたのは、この年月で積み上げた「経験の貯金」があったからこそ。しかし、「その先の20年」を考えたとき、今のままでは活動を続けていくのは難しいと感じたんです。「次の20年のために環境を変えて、新しい経験を積まなければ」という気持ちでした。
ホリプロを退所するときは、実家を離れて親元から巣立つような寂しさがありましたが、「これまで育ててもらった力を、自分の力で生かしていくことが恩返しにつながる」と考えて、新しい一歩を踏み出すことにしました。 ── 退所と同じ年に三重県に移住されています。これも「新しい経験」のための決断だったのでしょうか。 浜口さん:そうです。三重県への移住も「環境を変えて新しい経験を積む」ためのひとつの考えでした。私は大阪の都心部で生まれ育ち、東京で仕事をしてきました。長く都会に身を置いてきたこともあり、「今までとは違う環境に身を置きたい」という考えが芽生えていたんです。
三重県を選んだ理由は、私にとってなじみやすい場所だと感じたから。大阪にも近く、子どものころによく旅行で訪れたことがありましたし、海があって、自然が豊かなところにも魅力を感じ、三重県に移住することを決めました。 ── 三重県での芸能活動はいかがですか? 浜口さん:「三重で仕事をする」と目標を立てて移住しましたが、現地には知り合いもいなければ、コネもない状態。そこでレディオキューブFM三重さんと三重テレビさんに直接連絡することにしたんです。