テレビ番組の出演が激減との噂も “ものまね界のプリンス”青木隆治、「干され疑惑」について初言及
バイト先で出会った番組プロデューサーにすすめられ始めたものまね「顔だけテレビに映ればいいなと思っていた」
そんな青木に転機が訪れたのは23歳の時。カラオケができる飲食店でアルバイトをしていたときのことだった。 「たまたまものまね番組のプロデューサーが来たんです。『あれ?お前ツートンの息子だろ?』と言われて、『何かやってみろよ』と。その時に初めて美空ひばりさんをやったんです。そうしたら…『お前絶対に出ろ』と言われて。『いや、でも僕は親父と同じ道に行きたくない』と『ものまねにも興味ない』と断ったんですけど。ちょうどその時もがいていた。すべてがうまくいかなくて。なので、『まぁ出てみてもいいかな』と思ったのが、プロデューサーに会った約1年後だったんです。最初にやったのはポルノグラフィティの『サウダージ』。でも生意気だし、顔だけテレビに映ればいいなと思っていただけで、ものまねしていないんですよ(笑)。ただ歌いに行ったんです(笑)」 ――当時、ものまねへのリスペクトは? 「全くないですね。むしろ…自分の声で勝負できない人たちと思っていたので」
「人として…この仕事をしていく以上は見られている」青木を改心させたコロッケの振る舞い
ものまねをくさしていた青木を改心させたのは、その番組で共演した“ものまね界のトップスター”だった。 「コロッケさんに出会えたのが一番デカかった (自分は)タンクトップにハーフパンツに雪駄を履いて、サングラスかけてガラガラ引いてテレビ局に入って。あいさつもせず、僕も恐れを知らない。『誰も知らんがな』みたいな感じだったので、楽屋をドンと開けて『コロッケさん飲みに連れて行ってください』(って言った)。普通だったら考えられないヤバい奴じゃないですか。だけど『じゃあ行こうか』その時に言ってくださった。『人として…この仕事をしていく以上は見られている』ということを大切にしなければいけないし、コロッケさんの演目を見て感動して、この人みたいになりたい、この人を超えたい(と思った)。もう1回出ようと思って、やることをやろうと思った。次は尾崎豊さんをやらせていただいたんですけど、そのときはバチバチに聞いて、バチバチに練習しましたね。そこから(ものまねに)めり込んでいった」 コロッケに感化された青木は、心を入れ替え「ものまね」を芸として追求することを決意。実際、どのようにレパートリーを増やしていくのか特別に教えてくれた。 「寝る時も起きてもずっと曲を流しっぱなし。毎日繰り返して、今度は映像を見るじゃないですか、音を消してずっと映像を見る。そうすると仕草が入ってくる。例えば『尾崎さんここでマイク持ち換えたんだ』とか。早くても2~3カ月はかかる。聞きすぎると勝手にここで歌ってんですよ。僕が一番大事にしているのがビブラートがすごく大事で、いろんな種類のビブラートができないときつい。例えば堂本剛さんは『ちりめん』と言って速いビブラートなんです。秋川雅史さんはこう。(再現する)そういう細かい部分を常に追求するというか、そういうところを僕は心がけてきた」 ――こんなことを聞いていいのかわからないんですけど、楽しいですか?結構しんどそうだと思いまして。 「(笑)好きだからできますし、その人のことが好きだから聞けますよ。やはり好きじゃないとできない」