怪我さえなければ…。日本の「ガラスの天才」(7)ステップアップ間近の大怪我…。キャリアが狂った五輪の英雄
サッカー選手は常に怪我と隣り合わせだ。たった1つの怪我でキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大怪我を負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は最高級の才能を持ちながらも、怪我に苦しむキャリアを歩んだ“ガラスの天才”を紹介する。
FW:大津祐樹 生年月日:1990年3月24日 日本代表成績:2試合0得点0アシスト 今や有望な若手サッカー選手がより輝かしいキャリアを求めて欧州へ挑戦することは当たり前になっている。しかし当然のことだが、その全員が異国の地で満足のいく結果をあげることができるわけではない。元日本代表FW大津祐樹は、大怪我によってキャリアを狂わされた選手であったと言っていいかもしれない。 大津が現役生活の中で一際輝きを見せたのは2012年のロンドンオリンピックであった。当時所属していたボルシア・メンヒェングラートバッハではプレー時間がごく限られていたが、その鬱憤を晴らすかのような大車輪の活躍を見せる。グループリーグ初戦のスペイン代表戦で値千金の決勝ゴールあげると、大津は大会を通してチームトップとなる3ゴールをマーク。得点以外にもハードなプレッシングでチームに貢献し、エースFWとして日本代表の44年ぶりとなるベスト4進出の立役者になった。 大きなインパクトを残した大津は2012年8月にオランダのVVVフェンロに移籍。2013/14シーズンから背番号10を託され、2014年のFIFAワールドカップに向けてもアピールしたいところだったが、2013年12月に右足アキレス腱断裂の大怪我に見舞われてしまう。復帰までに約250日を要してしまい、同じくフェンロに所属した本田圭佑や吉田麻也のようにここから飛躍しようとしていた大津にとって大きな障害となってしまった。 そして2015年、プロキャリアをスタートさせた柏レイソルに復帰し、欧州への挑戦に幕を下ろした。その後大津は、横浜F・マリノスとジュビロ磐田でプレー。2023シーズンに負った怪我を理由に、33歳でスパイクを脱いだ。Jリーグ復帰後の大津はマリノスにJ1優勝を、磐田にJ1昇格をもたらすなど確かな実績を築いたが、もし大怪我が無かったらそれとはまた異なるサッカー人生を歩んでいたかもしれない。
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