国民に終戦を伝えた「玉音放送」とは? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
●エピソード
「玉音」の「玉」とは天皇そのものを指すので、天皇の肉声という意味があります。実は天皇の声を多くの一般国民が聞いたのは事実上、これが初めてでした。放送事故のような形で流れたのが一度だけあります。この「初めて」というのも国民の関心を大いに高め、結果として終戦の「聖断」は強烈に意識されていったようです。 また多くの人が8月15日を「雲一つない晴天だった」と記憶しています。井上ひさしは自身の小説で、主人公が検証すべく気象庁を訪れて調べたら「東北地方と北海道の空は灰色だった」と分かったと記しています。終戦直後の当時の文言を読むと「新日本建設」「祖国再建」など、まるで新世界に乗り出すようなキャッチフレーズが目立ち、47年からは空前の出産ラッシュ(第一次ベビーブーム)が訪れました。「終戦=敗戦」という事実に悲しんだ国民も、やがて到来した平和のすばらしさに生きがいを見つけ、結果として日本人が戦争の終わりと認識する15日の天気まで「晴天」と記憶したのかもしれません。 玉音放送後も納得しない一部の軍人が反乱を起こそうとしたり、自殺したりする出来事がありました。しかし多くは「承詔必謹」つまり「詔=終戦」の詔書を謹んで守るという概念で未然に抑えられました。 ポツダム宣言受諾に反対して玉音放送の原盤を奪取しようという軍人の動きもありました。録音終了後の15日未明、皇居を守る近衛師団の第一師団長を殺して偽の師団長命令を出して皇居を占拠し、必死で録音盤を見つけようとしたのです。しかし不穏な空気をあらかじめ察していた玉音盤を預る徳川義寛侍従が巧妙に隠していたので、ついに発見できませんでした。近衛兵はやがて撤退します。他の反乱メンバーは自らのクーデターに参加すべく呼びかけたものの不発に終わり、最後には鎮圧されました。 2015年8月1日、宮内庁は戦後70年の節目で「玉音放送」を録音したレコードの原盤(玉音盤)を初めて公開するとともにデジタル録音した音声も公開しました。マスコミでしばしば使われる音声はコピーで原盤の再生は長らくなされていませんでした。宮内庁のWEBサイトで聞くことができます。
------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】