“罪人”か“英雄”か 取材に協力し罪に問われた鑑定医…法廷で「後悔はない」当時の院長「彼は思想的確信犯」【供述調書引用本『僕パパ』から17年・さまよう信念】
調書を見せたことを後悔しているだろう…と誰しもが思うところだが、崎濱医師は法廷で次のように語っている。 「結果がこういうことになってしまいましたけど、私の信念は信念でそのままありますので、後悔はしておりません」
結局、崎濱医師は執行猶予付きの有罪となり、医師免許を1年間失うことになった。 高校の数学講師などを経て、36歳で医師となった崎濱医師。まだ発達障害がほとんど知られていない時代から、その第一人者として家庭裁判所からも頼りにされていた。 崎濱医師が勤務していた音羽病院の松村理司院長(当時)に当時の崎濱医師の様子を聞いた。
「私の当時の言葉で言うと、彼は“思想的確信犯”。彼が言うには、発達障害という病気のせいで事件が起きているので、(少年は)殺人罪ではないんだということを、自分は世間に明らかにしたいが、その力が自分にはない。草薙さんはその力を持ってるからそれを託したと。そのために自分は罪に問われて医師免許を失うかもしれないが、自分はそれを良しとすると」 崎濱医師は初めから医師免許を失う覚悟があったという。初めて耳にする話で驚いた。 当時は発達障害の理解が進んでおらず、発達障害と犯罪が安易に結びつけられて語られる状況に崎濱医師は危惧を抱いていたという。 少年に対する誤解と発達障害に対する偏見を一刻も早く解かなければならない。
まさに“信念”に基づく行動だった。 当時、彼は罪に問われ、社会はその“信念”を受け入れなかった。 事件から17年、社会は異なる評価をするだろうか。 (関西テレビ報道センターディレクター・上田大輔)