「1年目で年収1000万円」の「キャバクラの黒服」で才能が爆発…元AKB48劇場支配人が明かす「指名が絶えない嬢」と「売れるアイドル」の共通点
30歳でキャバクラから足を洗う
僕自身、人のことをとやかく言えるような立場だったのかというと疑問だ。六本木店の店長時代はまさしく天狗だった。店の営業時間中でも平気で飲み歩き、麻雀を打ちまくる。当時は彼女も3人くらいいたはずで、2日ごとに別の女の子の家に泊まるといっためちゃくちゃな生活を送っていた。そしたら2年もしないうちに店の売上が落ちてしまい、僕はマネージャーに降格になった。 確かにショーキャバでは多くを学び、また刺激にも満ちあふれていた。それでも一生続けたいとはどうしても思えなかった。僕は結局、30歳でこの世界から足を洗う。 もともとある人間との約束があったことも大きい。知り合いから紹介された彼は、商工ファンドで驚異的な結果を出し続ける社員として有名だった。いつしか仲良くなり、「30歳になったら一緒になにかやりましょうよ」とずっと声をかけてくれていた。それが前編の冒頭に登場した、芝くんだ。 僕らはとりあえず西麻布で指紋認証制のガールズバーを始めた。そして知り合いから北海道のモデルを売り出してほしいと言われ、芸能事務所の運営にも手を出し始める。そこで僕は芸能ビジネスの不条理を知った。新参者はキャスティング会社に「この子をお願いします」と頭を下げるしかない。その時点で圧倒的に不利なのだ。しかも、なにを基準にしてタレントを選んでいるのかさえもよく分からなかった。 そんな現実に悶々としていたときに掴んだのが、秋元先生とショークラブを運営するという大きなチャンスだった。 露出のチャンスをもらえないならば、自分たちで劇場を持ってしまえばいい。そして生のステージでアイドルをイチから養成する。多くのファンがつけば、メディアや大手事務所も無視できなくなるだろう。なにより、僕がショーキャバの世界で10年間培ってきた経験が絶対に活きると思った。 つづきは戸賀崎氏の次回の寄稿をお待ちください。
戸賀崎 智信