<紡ぐ思い・センバツ2021北海>選手へのエール 野球部OB会会長 大谷喜一さん(69) /北海道
◇悔いのない野球を あと一歩のところで逃した夢の甲子園。その「悔しい気持ち」は、卒業から半世紀を過ぎた今も、忘れることができない。 オホーツク海に面した浜頓別町生まれ。野球少年だった中学時代は、投手として稚内地区で準優勝。甲子園出場を目指し、当時から強豪として知られていた北海に進学した。 1960年代、北海は夏の甲子園に6回出場。センバツは60~64年に5年連続で出場していた。67年、大谷さんは入学した。 1年部員約140人。道内各地で鳴らした選手が集まった。365日野球漬けで、休みは正月三が日だけ。「自分よりうまい選手もいた。みんな辞めていく中、我慢強さを学んだ」 半年後、1年生は約30人に激減した。レギュラーポジション争いは過酷だった。「自分で考えて練習に取り組み、帰宅してからもバットを振った」。2年生の秋、1番セカンドの座を手にした。競争の中で勝ち抜く力を身につけた。チームの仲間意識も高まった。 69年、高校生活最後の夏。10校が出場した南北海道大会は、強打の北海が優勝候補だった。初戦は16安打で七回コールド勝ち。準決勝も10安打を放ち、下馬評通り決勝に駒を進めた。 相手は公立校の三笠。先制点を許し、一時同点に追いついたものの守備の乱れもあり、3―5で敗れた。ただただ、ぼうぜんとするしかなかった。「今も夢に見る」 卒業後、受験勉強に専念した。東京六大学や社会人チームで野球を続ける道もあったが、プロ入りした先輩たちを見て「レベルが違う」と感じたからだ。 大学では薬学部に進んだ。現在は全国に調剤薬局やドラッグストアを展開する「アインホールディングス」の社長。その傍ら、2003年から野球部OB会会長を務める。老朽化した部の設備を学校と協力して整備したり、全道大会を前に3年部員と食事したりするなど、物心両面で後輩たちを支えてきた。 「2年生はひと冬を越えると、ぐっと力を伸ばす」。長年選手を見守ってきただけに、言葉に重みがある。今回センバツに出場するチームは、新型コロナウイルスの影響で道外で合宿ができず、雪深い札幌で力を蓄えてきた。 そのチームで柱となるエース左腕・木村大成投手はこの冬も成長を続ける。「20年近くOB会会長を務めた中で最高の投手。あのスライダーは打てない」。4番・宮下朝陽主将を中心としたクリーンアップも「歴代の先輩たちと比べても引けをとらず、レベルは高い」。 粒ぞろいのチームに期待が膨らむ。「8強以上の成績が期待できる」。仮に駄目でも、連続出場を目指す夏の甲子園で達成できると確信している。 ただ、こんな思いもある。「悔いのない野球をしてほしい」。現役当時、届かなかった夢の舞台での躍動を選手に託した。【三沢邦彦】=随時掲載 ◇ センバツ開幕試合(3月19日)で神戸国際大付(兵庫)との対戦が決まった北海。創部120年の伝統を紡いできたOBらが、選手にエールを送る。