寂聴さんが遺してくれた最後の贈り物…秘書・瀬尾まなほが見つめた作家・瀬戸内寂聴の最晩年
---------- 99年の生涯を通して、愛に生き、愛を描いた作家・瀬戸内寂聴が残した最後の短篇小説集『命日 六つの愛の物語』(講談社)が刊行された。その最晩年の10年間、秘書として伴走した瀬尾まなほさんが目にした、寂聴さんの小説にかける強い思いとは…? 本書に寄せた特別エッセイをお届けします。 ----------
実体験が小説と溶け合って…
私が秘書を務めた瀬戸内寂聴先生は、70年を超える作家生活で、実際自分の人生に起きた出来事を何度も書いている。この『命日 六つの愛の物語』に収録されたどの小説にもそれを感じる。戦争中、防空壕で焼け死んだ母と祖父のこと。一人残された父親のこと。シベリアから帰還した姉の夫のこと。先生が夫と子を残して出奔する理由となった昔の恋人、涼太。自分の文学に大きな影響を与えてくれた不倫相手の小田仁二郎。涼太の親友のこと。そして90歳を超えた自分。自分より先に逝く愛する人や友人、作家仲間……。 「あれ? デジャブ?」と思ってしまうこともある。「どこかで読んだよね」と感じる内容であっても、同じ出来事を繰り返し書きながら、決して同じ物語になることはない。書けば書くほど深みが増して、世界が広がっていく。それが作家としての極意なのかもしれない。 本書中の一篇、「麋角解(さわしかのつのおつる)」もそうだ。自身の生まれ故郷の徳島の阿波踊り、父が特許を取得した塗料、そしてシベリア帰りの叔父のこと。長く住職を務めた天台寺の御山(その地域では山のことを御山という)に名物のどぶろく、そしてそのとき実際に好んでよく食べていたキムチ鍋。先生の実体験と小説の世界が溶け合っているのだ。 また、「命日」では実際生きている涼太の親友がモデルとなっているが、「あの世へゆけば、自分の死んだ日など思い出さないものでしょうか。今更、あの世で文也に逢いたいとは思いません」とは先生が実際、よく言っていた言葉だ。僧侶としてもあの世はあるのか、と考え続けてきた先生は最期には、「あの世は無だ」と先輩作家の里見弴(さとみとん)が言っていたことが本当なのかもしれないと思っていた。そしてあの世ではだれにも会いたくないと。 最後の短篇「その日まで」にも私の息子が「晴人」として、生後4ヶ月で保育園に園のバスで通っていることが事実として書き込まれていたので、読んだ際に嬉しかったのを覚えている。 長生きすると必然的に亡くなる人を見送る立場になる。「見るな」や「燐寸抄」のようにあの世へ逝ってしまった人のことを書くことも多かった。 ふと話したことや、日々の生活が小説に反映されていて、先生の洞察力やまたそこからのドラマチックな展開に驚くばかりであった。インプットにアウトプット。日常のすべてを作家として見ていたことがよくわかる。