【解説】 アサンジ被告の司法取引、なぜ実現したのか
ジェイムズ・ランデイル(ロンドン)、ティファニー・ターンブル(シドニー)、BBCニュース 内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者ジュリアン・アサンジ被告(52)が24日、ロンドン・スタンステッド空港からプライベートジェット機でオーストラリア、そして自由へと飛び立った。これは外交、政治、法律が混ざり合った結果だった。 アサンジ被告は今回の司法取引で、7年間の籠城生活と、その後5年間の勾留の末に自由を手にした。まとまるのに数カ月かかったが、最後まで不確かだった。 英検察庁(CPS)は声明で、司法取引の可能性について「3月に初めて認識した」と説明。それ以来、アサンジ被告の釈放と、「同氏と米政府の希望に沿って」同氏を米連邦裁判所に出廷させる「仕組みについて」アメリカに助言してきたとした。 長年の行き詰まりの末に実現した今回の司法取引は、2022年5月のオーストラリア総選挙が発端とみられる。この選挙によって、外国で拘束されている自国民の帰国を目指す新政権が誕生した。 政権を握った労働党のアンソニー・アルバニージー首相は、アサンジ被告の行動を全面支持はしないが「もう十分」だと主張。被告の釈放を求めた。そしてこの件を、主に舞台裏で優先的に扱った。首相は当時、「外交問題はすべてが拡声器を使って取り組むのがベストというわけではない」と話していた。 豪議会でアルバニージー氏は、超党派の支持を得た。 豪議員団は昨年9月に訪米し、米議会に直接働きかけた。アルバニージー氏も10月にアメリカを公式訪問した際、ジョー・バイデン米大統領との間で自らこの問題を取り上げた。 今年2月には豪議会が、米英両国に対してアサンジ被告をオーストラリアに帰国させるよう求める決議案を、圧倒的多数で可決した。 豪議員らは、影響力の大きいキャロライン・ケネディ駐豪米国大使にも強く働きかけた。 ■鍵を握った人物 鍵を握った人物は、オーストラリアの高等弁務官として昨年早くにロンドンに着任したスティーヴン・スミス氏だった。 昨年4月には英ベルマーシュ刑務所を訪ね、アサンジ被告と面会。外交筋によると、スミス氏が「多くの力仕事をこなし、個人的にこの問題を大きく前進させた」という。 スミス氏は、オーストラリアのケヴィン・ラッド元首相の政権で外相を務めた。ラッド氏は現在、駐米大使となっており、今回の交渉に関与してきた。 豪シドニー大学のサイモン・ジャックマン名誉教授(米国研究)は、豪政府にとってアメリカを支持するのは「自然な傾向」だが、両国の国民的・政治的感情は変化しており、アルバニージー氏は密室でアサンジ被告の釈放を求めるための「援護」を得ていたとBBCに説明した。 豪閣僚たちは、拘束されているアサンジ被告を、イランや中国で政治犯として拘束されている自国民と同一視することもあった。 オーストラリアでアサンジ被告の釈放を求める運動の法律顧問を務めてきたグレッグ・バーンズ弁護士は、違いを生んだのは政治だと話した。 「アルバニージ政権は、この問題をアメリカに提起した最初の政権だった。アルバニージーは野党からも支持を得た」 「(アサンジ被告の)処遇をめぐっては、多くのオーストラリア人がもやもやした思いを抱えていた。『どこに公共の利益があるのか?』とみんな疑問に思っていた」 ■法的な救いの手 こうした状況で、法律が役割を果たした。英高等法院が5月20日、アサンジ被告に法的な生命線を与えた。 被告をめぐっては、軍事機密を入手・公開した罪でアメリカで裁判を受けさせるため身柄を引き渡す動きが進行していたが、被告がこれに対して新たな差し止め請求をすることを認める決定を出したのだ。 この時点で、アサンジ被告は米スパイ活動法に基づく複数の罪状に直面していた。公的秘密を公開した罪17件は、それぞれ最高10年の禁錮刑が科される可能性があった。ハッキングの罪1件は最高5年の禁錮刑となり得た。 決定で重要だったのは、豪国民であるアサンジ被告が、米憲法修正第1条の言論の自由の権利を抗弁として使えるのかという点への判断だった。 英検察庁で引き渡しの責任者を務めたことがある、法律事務所ピーターズ・アンド・ピーターズのビジネス犯罪部門のトップ、ニック・ヴァモス氏は、5月の決定が双方に対し、交渉のテーブルに着き、司法取引を完結させるようプレッシャーをかけたと話した。 ヴァモス氏によると、この決定でアサンジ被告は、アメリカの秘密情報を公開する行為は米憲法修正第1条で守られていると主張できる可能性を得たとし、「さらに何カ月、何年もの遅延と圧力」が生じるかもしれなかったと述べた。 「アメリカはこうした不確実性とさらなる遅延に直面し、アサンジ氏がハッキングの罪を認め『服役』したとする代わりに、情報の公開については起訴を取り下げ、ついにこの物語に終止符を打つことにしたようだ」 ヴァモス氏はまた、米憲法修正第1条がハッキング罪での起訴には何の影響も与えないであろうことを、アサンジ被告の弁護団は認識していたはずだと付け加えた。 そのため、秘密資料の公開に関する起訴が取り下げられたとしても、それに付随するハッキング罪での起訴については、被告は何の保護も受けられない状況だった。 「双方ともリスクを認識し、話し合いのテーブルについた」 英政府関係者によると、次の高等法院の審理は7月9、10日に迫っていた。司法取引を実現させるタイミングは今しかないことを、双方は知っていたという。 ■舞台裏の政治 いつもどおり、政治も一役買った。 アメリカ側はしばらく前から、司法取引に応じる意向を示していた。ケネディ駐豪大使は昨年8月、司法取引が解決策になる可能性を公に示唆。これにアサンジ被告の弁護団が飛びついた。 バイデン氏は今年4月、オーストラリアからの起訴取り下げの要請を検討していると述べた。 米外交官らは、オーストラリアとの関係を守ることに熱心だった。両国はイギリスも交じえた3カ国で、防衛・安全保障の枠組み「AUKUS(オーカス)」を構築していた。 アサンジ被告の事案は、英米関係においても長年の懸案だった。多くの外交官らはこれを解消したいと考えていた。 バイデン政権が11月の大統領選挙の前にこの問題の解決を望んでいるとの憶測も広がった。アサンジ被告の支持者の一部は、イギリスでアサンジの身柄引き渡しに消極的な労働党政権が発足することを、アメリカは恐れているとの見方を示した。 米ホワイトハウスは25日、司法取引の詳細には一切関与しておらず、司法省が扱う問題だと、即座に説明した。 結局のところ、法的・外交的論争を長年続けた末に、すべての当事者が取引を望み、そのためには妥協もするという結論に達したということのようだ。 (英語記事 How the deal to free Julian Assange was agreed)
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