三宅島が噴火 全島避難の島でも続いた警備 火山対策は今も 警視庁150年 108/150
20年に一度、噴火が発生する火山島として知られる東京・伊豆諸島の三宅島は平成12年、島中央の「雄山」山頂から噴火、島民は全島避難を経験した。避難後もインフラを維持する事業者の安全確保などのため、警視庁三宅島署員らは近隣の島や停泊した船から通う形で島の警備を続けた。当時の署長は「噴煙や飛んでいる噴石を見ながら死傷者が出ないよう警戒に努めた」と緊迫の日々を語る。 【写真】三宅島の「雄山」が噴火し、流れる噴火=平成12年8月29日 「空が薄暗くなりそこらじゅう灰だらけ。車が灰で滑って移動にも苦労するような状態だった」 当時、三宅島署長だった高宮今朝幸(けさゆき)さん(81)は、噴火後の島の様子をこう振り返る。三宅島に着任したのは11年9月。念頭には常に噴火があり「島の人と協力し合える関係をつくっておかなければ」と心を砕いた。 12年6月26日の群発地震から火山活動の活発化が顕著になり、7月に雄山山頂から噴火。断続的な噴火で島には灰が降り注いだ。8月には噴煙が1万4千メートルにも達する大規模噴火が発生。噴石が降り注ぎ、低温火砕流や火山ガスも発生した。 積もった灰は雨が降ると泥流となって斜面を駆け降りる。島民の自主避難は始まっていたが9月1日、全島避難が決まった。火山ガスの危険性があり、以降4年5カ月にわたり避難指示が出続けることとなった。 電気や通信など最低限のインフラを維持するため、事業者が島の周囲に停泊する船や近くの神津島から通い作業した。三宅島署員らも交代で船中泊や神津島からの通勤による船酔いと戦いながら警備に当たった。 高宮さんは「命の危険はあるが、島の地形や道を知っているのは署員だけ。残る人たちを置いていくわけにはいかない」と話す。残った事業者や署員で、泥流や火山ガスに巻き込まれる人は一人も出なかったという。 現在、三宅島の火山活動は落ち着いているが、いつまた活発化するか分からない。新任の署員にはヘルメットやガスマスク、ゴーグルを配布。使い方を指導し、噴火を想定した訓練を行うなど警戒を続ける。 署内には、火山ガスが発生した場合に備えて二酸化硫黄を除去する「脱硫装置」の配管が張り巡らされている。気密性を保つため、窓も2重だ。
三宅島署の片桐誉之(たかし)次長は「署員全員が装備資機材の使い方に慣れ、島民の方から噴火時の話を聞くなどして、いざというときに備えている」と話した。(橋本昌宗)