宇宙飛行士の“レジェンド” 若田光一さん 新天地へ!
会見では32年の宇宙飛行士生活の中で印象に残ったことも問われました。数えきれない出来事の中で絞り出したのは1996年の初飛行の時です。 「太陽が昇ってきた初めて見る地球の美しさ、大気層の薄さ、その瞬間は明らかに覚えている。最も印象的な瞬間だった」 「打ち上げや帰還に対する恐怖はなかったが、宇宙で何かミスをすることで発生するトラブル、自分の失敗に対する恐怖が一番大きかったと思う」 失敗することの怖さという「宇宙飛行士としてのプレッシャー」は並々ならぬものであったことがうかがえます。 若田さんは会見で宇宙飛行士の仕事は「生涯学生をやっているような印象」と話していました。膨大な勉強・試験を受けて宇宙飛行に臨み、帰還後には地上の担当業務、次のミッションに向けた勉強・試験を経て宇宙飛行に臨むというサイクルだったと言います。ある記者は会見について「文武両道あこがれの生徒会長の卒業式に臨む気分」と表現しましたが、なるほど言い得て妙だと思います。
ところで若田さんと言えば、宇宙へのフライトのたびに心がけていたのが「和」の心だったと思います。私はこの「和」について聞いてみました。 若田さんは具体的な行動として「ハーモニー(和)を維持するために、どんなに忙しい時でも夕食を一緒にするとか、ちょっとした短い時間であっても運動の時とかに声をかけてあげるとか、相手を思いやるという気持ちを大切にして宇宙でも生活をしてきた」と話しました。「万が一の緊急事態が起きた時、安全を維持して必要なミッションを達成していくために重要である」と…。さらに宇宙飛行士それぞれの出身国の祝日、誕生日を祝う時、地球から持ってきたおいしい宇宙食をプレゼントするなどコミュニケーションの機会をつくってきたそうです。 会見の冒頭で若田さんは様々な立場の人の名前を挙げ、感謝の言葉を述べていました。JAXA幹部は「本当に人をよく見ている」と若田さんを評していました。コメントを聞くと、俗な言い方になりますが、若田さんは本当に「マメ」な方だと感じます。エンジニアという専門的なスキルだけでなく、こうした細かな心遣いが若田さんの「人間力」「揺るがぬ軸」につながっているのではないかと改めて思いました。 さらに現役の宇宙飛行士として、今後の宇宙飛行にも意欲を見せます。 「6度目だけでなく、7度目でも8度目でも意欲はある。可能性があれば、私がこれまで経験できてなかったことに挑戦していきたい。私の夢は種子島から日本、世界の人たちを送り届けることができる有人機が打ち上がること。その観点からも、より民間が主体的に有人宇宙活動に参画することが、私の夢にもつながっていくと期待している」 若田さんの転身は、いわゆる「アラカン世代」の一つの生き方を提示するものになるかもしれません。