<相部屋の相棒・センバツ京都国際>特別版 コロナ集団感染で出場辞退 野球好きに、私を変えた「家族」 /京都
◇「日本一」目指し、立ち上がって 新型コロナウイルスの集団感染がチーム内で確認されたため、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開かれている第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社など主催)への出場を、京都国際が辞退した。全員が甲子園という地に焦がれていたと思う。「次こそは」と日本一を目指してきた3年生、初めての甲子園に高揚していた2年生。それぞれが夢を抱き、練習に心血を注いできたことを、担当記者の私は知っている。【千金良航太郎・24歳】 私は元々、野球にあまり関心がなかった。毎日新聞は高校野球の取材を、新人記者に任せることが多い。2021年4月に入社し、京都支局に配属された新人の私は高校時代、運動部に所属していなかったこともあり、ルールすら十分に知らないところから取材を始めた。この年の春季府大会で優勝した京都国際を取材した際も「マウンド」「クリーンアップ」といった選手たちの使う単語の意味すら分からず、苦痛だったというのが正直なところかもしれない。 私の考えが変わったのは、昨夏の甲子園で京都国際が4強にまで上り詰めた瞬間を見た時だった。残念ながら準決勝で敗れたが、決して涙は流さず「後輩たちは次こそ優勝してほしい」と真っすぐ語った中川勇斗(はやと)選手(現阪神)。顔をゆがめ「中川さんの配球を信じれば、打たれないと分かっていた」と大粒の涙を流した平野順大(じゅんた)投手(3年)。青春の全てを懸けて野球に打ち込む彼らの群像に心を打たれた。私は、ここまで一つの物事に真剣に取り組んだことがなかった。 以来、野球の取材に楽しみを見いだすようになった。新チームで挑んだ秋季大会で、京都国際は近畿大会の2回戦で惜敗した。夏4強の躍動を見たからこそ若干の不安を覚えたが、「チーム力が足りていなかった」と自分たちの未熟さを痛いほど自覚していた辻井心(じん)主将(3年)の言葉に、今後の成長を確信した。 センバツへの出場が22年1月末に決定してからは、学校側の了解を得て、京都市東山区にあるグラウンドへ取材に通うようになった。事前を含めてこれまで、PCR検査を3回受けて陰性であることを確認した上で、マスク着用を徹底し、取材は屋外で距離を保ってするなど感染対策を心掛けながらの取材だった。校舎近くの寮で共同生活を送る選手たちも検温を毎朝実施し、日常生活でのマスク着用や消毒など、感染対策を徹底していた。 昨秋の段階では「練習中、まだまだ声が出ていない」と辻井主将もチームの課題を指摘していたが、2月上旬に取材に訪れた際は「その一球で負けるんやぞ!」「そんなんで甲子園、行けるんか!」などと大きな掛け声が、守備練習に励む選手たちの間に響き渡っていた。小牧憲継監督も「チーム全員で戦う意識が、だいぶ上がってきた」と手応えを感じ始めていた。 私は選手たちの今を、そしてチームとしての仲の良さを伝えたいと、連載「相部屋の相棒」で相部屋の二人ごとに選手を紹介することにした。取材を通じて感じたのは、彼らは大きな「家族」ということだった。「寮生活で一番楽しい時間は何ですか」と尋ねると全員、口をそろえて「仲間と過ごす時間」と答える。苦楽を日々共にする中で育む絆が、守備での連係やベンチワークでの仲間への気遣いといった形に現れ、「日本一」を目指す力へとなっていることに気付かされた。ますます野球の奥深さに触れ、日々の取材はいつしか私の最大の楽しみとなっていた。 だからこそ、今回の出場辞退を知った時、衝撃を受けた。本気で「日本一」を目指す選手たちの姿が思い浮かび、言葉もなかった。高校生活は3年間しかない。その中でつかんだ甲子園への切符が持つ重みは、私の想像も及ばない。 「夏に向けて頑張ろうとは軽々しく言えない」「『何て伝えたらいいんだろう』と心苦しかった」。出場辞退を受け、18日に私の電話取材に応じてくれた小牧監督は、こう打ち明けてくれた。普段はひょうひょうとして気さくな監督が、こんなに重く、疲れを感じさせるような声で話すのを初めて聞いた。選手たちに辞退を伝えなければならなかった監督の心労は、察するに余りあるものだった。 しかし、まだ「夏がある」のは事実だ。今回の辞退に、OBや関係者から多くの応援メッセージを寄せてもらい、19日付の地域面に掲載した。誰もが一様に「夏での活躍が楽しみ」「夏で優勝すればいい」と選手たちを鼓舞していた。 小牧監督は「(選手たちは)すぐに気持ちを切り替えなくていい」と語ったが、その通りだと思う。今はゆっくり心と体を休めてほしい。そしてまた頂点を目指し、立ち上がってほしい。「野球嫌い」だった新人記者を、大の「野球好き」に変えてくれたチームなら「日本一」は夢ではない。聖地で頂点に駆け上がる姿を取材できる日が来ることを、私は信じて疑わない。 〔京都版〕