広島1位の青学大・佐々木泰が交わした恩師との約束 “真面目”な男が満を持してプロの世界へ
広島からドラフト1位指名を受けた青学大の佐々木泰内野手(4年=県岐阜商)。1位指名でのプロ入りは高校時代の恩師・鍛治舎巧監督との約束でもあった。 鍛治舎監督が母校・県岐阜商の監督に就任したのは18年。同じ年の4月に入学したのが佐々木だった。当初は別の高校に進学予定だったが、鍛治舎監督が就任すると知って県岐阜商の門をたたいた。当時は体の線こそ細かったが、どんな球にもフルスイングできる力があり1年春から4番に抜てき。ここからプロを目指す二人三脚での挑戦が始まった。 練習中は常にスイングスピードを計測しながらバットを振り続け、高3になる頃には150キロ以上を計測。順調に成長を重ねたが、想像もしていなかった不運が襲った。新型コロナの影響で出場を決めていた選抜は中止に。夏の甲子園も中止となり、夢舞台を目指すことすらできなかった。だが、野球の神様は見放さなかった。選抜出場を決めていた学校による交流試合を甲子園で開催。明豊(大分)と対戦した県岐阜商は2―4で敗れたが、9回先頭で佐々木が高校通算41本塁打目となる左中間へのソロを放った。勝負どころでの強さは今でも健在で「それだけの練習をしてきた自信はあるので、チャンスでも自信を持ってバットを振れる結果です」といつも語っている。 練習が大好きで高校でも大学でも誰よりも遅くまでバットを振り続ける。プロ球団のスカウトからも「佐々木は真面目という話ししか聞かないが、本当はどんな性格なんだ」と何度も聞かれたことがある。それほど野球に対して真面目に真摯(しんし)に向きた。高校時代にもプロ志望届の提出を考えたが、鍛治舎監督と誓った「1位でのプロ入り」をかなえるために青学大へ進学。この選択が間違っていなかったからこそ「あの時、監督が僕の背中を押してくれたおかげで今の自分がある」と感謝の言葉を続けた。 広島から1位で名前が呼ばれると、すぐに「約束を果たしましたよ」とメッセージを送ったという。次に交わした約束は「ホームラン王」だ。佐々木ならきっと――。そう思わせてくれる男である。(記者コラム・村井 樹)