江戸期の徳島・脇町にあった文武両道の私塾「神全塾」、意外な人物との関係や重要資料が調査で次々と見つかる
江戸時代、美馬市脇町に文武両道の私塾「神全(しんぜん)塾」があった。脇町でも知る人は少ないが、開設した徳島藩家老稲田家家臣の武田家には今も、私塾としては県内最多規模の古文書や美術品、武具など約四千点が残る。資料の量と多彩さに注目した歴史の専門家や武道家がこのほど、ボランティアで本格的な調査を実施。その報告会には県内の歴史に関する会では異例ともいえる400人近い聴衆が集まった。150年余りベールに包まれていた私塾の実態と、献身的に調査研究に当たった関係者の情熱を取材した。 新選組局長・近藤勇が徳島の刀を持っていた 阿南市の刀匠・吉川祐芳作 神全塾は武田家4代が18世紀後半から約80年にわたって運営した。塾主が一人で武芸と儒学などの学問を教えるという、全国でも極めて少ない教育形態をとっていた。 1993年、香川医科大に在籍していた和田哲也信州大名誉教授(体育史・武道史)が資料目録を完成させたことで、神全塾は注目を集めるようになる。和田氏は4年間、調査のために毎週のように香川から武田家を訪れたという。 目録はその後、徳島県立文書館や徳島城博物館、郷土史家らに役立てられ、塾の門弟の中に、戊辰戦争で活躍した竹澤寛三郎や尾方長栄、南薫風、工藤剛太郎らがいたことを示す資料が発掘された。後に勝海舟の師となり、幕末の三剣士の一人とされた島田虎之助が武者修行で訪れた芳名帳も見つかった。 塾が再び関心を集めたのは、庚午(こうご)事変(稲田騒動)から150年の節目を迎えた2020年。未調査の資料が多いことを嘆いた有識者らが、武田家15代当主大輔氏の協力を得て「文」と「武」に分けた新しいスタイルの調査会を発足させた。 メンバーに名を連ねたのは大学教授や県立文書館の歴代館長、徳島城博物館長と学芸員、居合道範士、郷土史家ら。県内には藩校や私塾、寺子屋の資料が極めて少なく、神全塾を通して私塾の在り方や稲田家の教育の実像に迫ろうと調査に臨んだ。 活動は新型コロナウイルス禍で低調となりながらも約4年間、古文書、絵画、武具の分野別に現存状況の把握を進めた。その結果、徳島藩家老池田家が秘蔵する赤穂義士大石内蔵助の遺書の写しのほか、徳島藩の尊王攘夷(じょうい)派の学者だった新居水竹との親交が分かる手紙などが見つかった。讃岐の郷土史「全讃史」をまとめた民間儒学者・中山城山との交流を伝える文書もあり、資料の多様さと奥深さがうかがわれた。 伝承が絶えていた関口流抜刀術の型について書かれた絵入りの伝書も発見し、岐阜の武術家が再現に成功した。紀州藩発祥の名取流軍学の文書も複数出てきた。名取流の一次史料は空襲に遭った和歌山では現存しておらず、全国の専門家が目を見張った。 報告会は今年9月16日に美馬市地域交流センターミライズ市民ホールで開催された。県内だけでなく、岡山や淡路島、高松からも歴史ファンが訪れた。資料目録を作った和田氏も長野市から駆け付け、「資料の全貌が明らかになっていったあの頃が懐かしい」と感慨深くあいさつした。 4人のメンバーが初公開となる調査結果を発表したほか、抜刀術、居合道、合気道の団体が白熱の演武を繰り広げて拍手を浴びた。閉幕後、メンバーの一人は「塾には当代一流の学者や武者修行の武芸者が集まっていた。資料を生かすために在野の研究活動を続ける必要がある」と語った。 世界遺産や各地の歴史文化遺産を見ても分かるように、自然と歴史の神髄は人の心に響く。これからも神全塾の調査が加速し、他の地域で眠る資料にも光が当たることが期待される。