ムツゴロウ「動物学科のときに行った油壷で初めて賭けて打つ麻雀をやって。やる以上は徹夜で、死ぬ思いで打った」
ナチュラリストであり、動物研究家でエッセイストだった、ムツゴロウこと畑正憲さん。2023年4月5日に亡くなられたムツゴロウさんですが、実は無類の麻雀好きで、日本プロ麻雀連盟最高顧問という肩書もお持ちでした。そのムツゴロウさんの一周忌にあわせて刊行される『ムツゴロウ麻雀物語』より、「動物との交流もギャンブルも命がけだった」ムツゴロウさんの日々を紹介いたします。 【書影】「動物との交流もギャンブルも命がけ」だったムツゴロウさんの自伝『ムツゴロウ麻雀物語』 * * * * * * * ◆科学の本ばかりある中に『麻雀放浪記』が 神田(かんだ)に親しい友だちが住んでいる。 その一家はカタブツばかりであり、理科系でかためたような家でもある。医者、物理学者、化学者などがずらりと揃っているのだが、その家に阿佐田哲也さんの著作がずらりと並んでいた。科学の本ばかりある中に、『麻雀放浪記』が入ると異様に目立つ。 「どうしたんですか。誰が好きなんです、麻雀を」 と訊いたら、実は、ときた。隣の分家にマアちゃんという変わり者がいて、麻雀が飯より好きだったという。裏に土蔵があって、その二階がマアちゃんの部屋だったが、阿佐田さんが毎日のようにきて一緒に打っていたそうだ。 「あれを好きと言うのね。くる日もくる日もですからね。顔なんて、蒼(あお)じろくなって、生きてるのか死んでるのか分からないようになっても打ってるんですから」 「戦時中?」 「そうね、戦争中もやっていたようね。いや、戦争になってから、余計烈(はげ)しくなったかもね。そうそう、たしか、近所にバレるといけないと気を遣ったりして」 「マアちゃん、どうしました」 「いなくなったの」 「消えたのですか」 「突然いなくなったの。それでね、イロさんの書くものの中に、マアちゃんが出てこないかって、みんなで調べたりしたのよ」 だから著作が揃っていたわけである。
◆年齢が十違うだけで 後日、阿佐田さんに会って確かめると、話はやはり本当だった。 「よく行きましたよ。土蔵の二階でねえ。ボクが打ち始めの頃でした。ほら、覚えたての頃は熱中するでしょう、あれですよ」 「夢中で打った頃ですね」 「若かったから」 「マアちゃんはどうしました」 「死にました」 「え、行方不明だと言ってましたが」 「自殺したんです」 「…………」 「船に乗って行って、どこそこで飛びこめば死体が上がらないからとか言ってました。これから死ににいくというので、皆で拍手し、行ってこいと送り出したんですよ、あれは」 そういう時代だったのだろう。私よりも六、七年先に生まれた人たちは、嵐(あらし)をまともに喰らっている。年齢が十違うだけで、ずいぶん違う生き方を強いられているのだ。