センバツ・札幌大谷 第1部/下 出場決定までの軌跡 ぶつかって深い絆に 中高で築いた結束力 /北海道
<第91回選抜高校野球> 2013年の秋の全道大会決勝。当時小学6年だった北本壮一朗選手(2年)は、札幌大谷の試合を観戦するため、家族と球場へと向かった。席に腰を下ろそうとした時、隣に見たことのある顔があった。母に「西原君じゃない?」と言われ、よく見ると、その年の夏の大会で対戦し、打てなかった現在のエース・西原健太投手(同)だった。 大谷は敗れ、センバツ出場の機会を逃した。だが、現チームの主力となっている2年生の部員の多くは、全道準優勝という結果をみて、大谷への進学を決めた。 翌14年、中学野球部に入部してきたのは北本、西原両選手を含め38人。中学の有賀良太監督(33)は「創部以来、最も多い人数で驚いた」と話す。 いつも元気でにぎやかな学年で、個性的な部員も多かったが、当時から飯田柊哉主将(2年)がリーダーシップをとり、チームのまとまりはよかったという。石鳥亮選手(同)は「言い争いをすることもよくあったが、ぶつかってきたからこそ絆が深まった」といい、「飯田は背中で引っ張るタイプ。ついていけば大丈夫だと安心できる」と信頼をおく。 有賀監督はある時、部員たちのクラス担任から「俺たちが高校で甲子園に行くんだ」と教室で意気込んでいる、と聞いた。「生意気だなあ」と笑ったのと同時に、彼らの強い意志を感じた。「そんなことを周りに話す学年は私の知る限り初めてだった」と振り返る。 中学3年生になった16年には、第22回日本リトルシニア全国選抜野球大会に出場し、ベスト8に。有賀監督は「ここまで勝てるとは」と驚いたという。 中高一貫校ではあるが指導方法は中高で異なる。中学までは全員で一緒に練習をしていたが、高校に上がると実力別にA、Bチームに分けられ、選手たちの競争意識は一気に高まった。中学との雰囲気の違いに、清水悠我選手(同)は「高校の厳しさを知った」と言う。 1学年下の現1年生は高校から大谷に入学した部員が多く、レギュラーに食い込む選手が複数おり、より競争は激化した。 互いに競い合いながらも、中学から5年かけ築いてきた固い絆。チーム全体の結束力も高め、未知のステージに臨む。【土谷純一】